うしろ、うしろー!! :ある日の献立
たまたま見ていたテレビにニュース速報が流れました。
私が思わず「あっ!」と声を上げたのと同時に、その番組のスタジオでも、進行中のアナウンサーの声を遮るように「えっ?!」と声が上がりました。
そして、ハリセンボンの春菜さんが滂沱の涙を流してがっくりとうなだれました。
オバフォー世代の皆さん、突然「シムラー!!」と大きな声をかけられたら咄嗟に何と答えますか?
8割ほどの人が「うしろ、うしろー!!」と答えるはず。
調べてみたら、『8時だョ!全員集合』は、1969年(昭和44年)10月から1971年(昭和46年)3月、 1971年(昭和46年)10月 から1985年(昭和60年)9月まで放送されていたそうです。(※ 1971年4月から9月までの半年間は、クレイジーキャッツがメインの番組『8時だョ!出発進行』が放送されていた)
志村けんさんは、1973年12月からメンバー見習いとして、1974年4月から正式メンバーとして出演しました。
私を含め、オバフォー世代が小、中学生だった頃にドンピシャです。
毎週楽しみに土曜日の8時を待っていた人、親から見ることを禁止されていて月曜日のクラスの話題についていけないことが悔しかった人。どちらにしても『全員集合』は当時の子供たちをざわつかせていた”オバケ番組”でした。
番組が終わってからも、ザ・ドリフターズは解散しなかったものの、個々の活動がどんどん増えていったような気がします。
芝居の道に進んだ人もいれば、バラエティ番組にちょこちょこと顔を出す人も。その中でも、とりわけ、志村けんさんはとてもストイックにお笑いの道を究めようとしていたように私には見えました。メンバー唯一生涯独身を通し、お笑いの他は酒と煙草の日々を送っていたらしい様子からそんなふうに思えたのかもしれません。
一見、女性好きで大酒飲みのおじさんというイメージをまといながらも、今でも昭和の子供たち(特に男子)のお笑いヒーローだった”シムラ”。
あの頃の子供の私たちは、シムラが死ぬなんて考えたこともなかった。私たちのシムラは、いつまでも白鳥付きのチュチュを着て東村山音頭を歌ったり、カトちゃんとひげダンスを踊っているはずだったのに。
シムラが死んだ。
あの頃、テレビの画面に向かって「シムラー!!うしろ、うしろー!!」と叫んで私たちがシムラを悪者から守ったように、「シムラー!!コロナ気を付けてー!!」と叫んで彼を感染から守れたらよかったのにね。
ミカス家の食卓#5
- 焼売
- 小松菜の白和え
- 無限茄子
- マグロのアラ煮
- 湯葉とねぎの味噌汁
- アスパラ玄米ご飯
焼売は1年に2回くらい「作ろう!」となります。みじん切りにした玉ねぎに片栗粉をたっぷりまぶしてひき肉に混ぜると、ちょっと懐かしい昭和の焼売になります。
白和えは、パルシステムの白和えの素を使う事が多いです。しいたけやニンジンなどが入っていて、味もしっかり。小松菜やアスパラ、ブロッコリーなどの緑の野菜を茹でてこの和え衣で和えるだけです。
無限茄子はもうお馴染みですね。一時期しょっちゅう作っていましたが、最近はその存在すら忘れていました(笑)
マグロのあらが安く売られていると、生姜をたっぷり入れて甘辛に煮付けます。濃い目に味付けをしておけば日持ちもするので、こうやって小鉢に入れて箸休めとして何日か出せます。
近所のモールで売っている湯葉が、生湯葉と乾燥湯葉の間くらいの固さなので汁物に入れやすくて便利。しょっちゅう買ってます。
アスパラご飯は、直売所でアスパラを買った時にお店のおばさまから教えてもらいました。軽くレンチンしたアスパラをバターとめんつゆで炒め、ご飯混ぜ込みます。クックパッドにも出ているレシピのようです。とても簡単なのに、とても美味しい。アスパラの青くて甘い香りが抜群です。
そうか、シムラはもういないのか。
特別ファンだったわけではないのに、ぼんやりと、でも確実にある喪失感。
やっぱりシムラは私たちのお笑いヒーローだったなあ。
大人は、下品だ、くだらない、と言ったけど、今見れば確かにそうだけど(笑)、でも、あの頃の子供、私たちはシムラにたくさん笑わせてもらったんだ。
シムラー!! うしろ、うしろー!!
ミカスでした。