深刻なのか : きくらげと水煮メンマの炒め物
母が入院しました。
祝日の午前中、断捨離、断捨離と広げてしまった不用品の山の中で途方に暮れていたところに電話が鳴りました。母のグループホームからです。しまった、この間の処方箋、お届けしますって言ったのにまだ行ってないや。それだな…。
「お母さんの体調がおかしいので、今、救急車を呼びました。すぐに来られますか?」
え、救急車?
出来る限り早く行きますと一旦電話を切ってタクシー会社に電話をすると、到着まで10分かかると言います。ホームへ電話をして「タクシーが来るまで10分、うちからホームまで10分。都合20分ほどかかりそうです」
「わかりました。娘さんが着くまで待ってもらうよう言ってみます」
結局、10分もかからずにタクシーがやって来て、ホームへ向かいました。
大きな道から細い路地、この先にはグループホームしかないという私道を入り、あと数十秒で到着するというところで1台の救急車とすれ違いました。事情を話してあった運転手さんが「あっ、これか?!」と声を上げました。紙一重の差で間に合わなかった。とりあえずタクシーをホームの門につけてもらい、「行き先を聞いてきます。ここで待っていてください」と駆け出すと、スタッフの方が数人、こちらへ駆け寄ってきてくださいました。
「〇〇大学病院が、今すぐ来られるなら受け入れますと言ってくれたので、娘さんを待たずに行きました」
隣の市にある大学病院は、母も私も何度か使ったことがあり、家から行くにしても交通の便がいい。私の到着を待たずに決めてくださったスタッフの皆さんに感謝です。
病院の救急入り口でタクシーを降りると、ドアの外で救急隊員の方が待っていてくださいました。
「ミカスさんこちらです。ホームの方が中で待っていらっしゃいます。お母さま、どうぞお大事に」
救急の待合室は受付の小部屋を挟むようにして2つに分かれていて、向かって右は自分で救急外来へ来た患者さんのための、左は救急車で搬送されてきたの家族のための待合室になっています。隊員の方が指したのは左の待合室。昔、母が夜に激しい腹痛を訴えて妹の車で連れて来た時は右の待合室だったな。受付のガラスを通して反対側の待合室を見ながら「あっちは救急車用なのか。大変だな」と思ったっけ。
付き添って下さったスタッフさんが母の様子について細かく話してくださいました。
朝起きるのを愚図ったため、いつもよりも遅めの時間に起こしてダイニングで座らせたところ、唇の右端からよだれが出て、本人がそれを手で拭っていたとのこと。おかしいなと思った次の瞬間に右手がだらりと下がったのだそうです。それを見た元看護士だったスタッフの方が「救急車を呼びましょう」とすぐに判断して下さったとのこと。
その話を聞くに、母の身に起きているのは、脳梗塞。
ホームのスタッフは帰っていき、それと交代のように車で駆けつけてきた妹と小さな待合室で2時間ほど待ちました。待ちながら、これがとても深刻な状況なのか、それとも「いやぁ、びっくりしたねぇ」と笑いながら帰れるレベルのものなのか私たちはわからず、わからないから、「お腹空いたなあ」だの「なんで傘立てがないんだろうね」だのと大学病院の救急待合室にそぐわない会話を続けていました。
当座必要な検査が終わり、担当の医師がやってきました。若くて小柄で可愛らしい(なんて言ったらこのご時世あまり良くないのでしょうか)女性のお医者さんです。パソコンと大きなスクリーンが設置された小部屋に私たちを案内してくれ、それはてきぱきと母の状態について説明してくれました。
果たして母は脳梗塞を起こしていました。
発見が早かったのでカテーテルといった外科的な治療は必要ないということ。血栓を溶かす薬を投与することが主な治療になるものの、それによって脳や他の臓器に出血が生じる可能性も考えられることなど、とてもわかり易いお話でしたが、それを聞きながら私は「ああきっと、今はなるほどと理解しても、ちょっと経ったら私は細かいことを忘れてしまうんだろうな。妹がいてくれて良かった。ていうか、なぜ私はメモをとらないのだろう」などと考えていました。この段階でも私は、これが深刻なものなのかほっとしてもいいものなのかが分かっていなかったのです。いや、脳梗塞、それなりに深刻だろ。
色々な書類に色々なことを記入して、サインをして、その後に看護師さんが「もしパジャマなどの入院セットをレンタルするのでしたら、正面玄関のロビーの所に入院セット受付があります」と声をかけて下さいました。
正面玄関もロビーも何度も使っているので知っています。でも、普段ほとんど使わない建物の裏手にある救急入り口から入った私は、一体どこをどう進めばここからロビーへたどり着けるのかがわかりません。すると、同じことを考えたのか、妹が「正面玄関までの行き方を教えてもらえますか」と看護師さんに言いました。
とても穏やかな雰囲気を湛えた看護師さんは「一緒に行きましょう」と、私たちと一緒にロビーまで歩いてくれました。
「私、ちょっと前にこの部署に異動してきたんですけどね、いまだに迷っちゃいます」と彼女が言うように、救急の病棟から本館へつながる通路はすべて同じ薄い鼠色の壁と低い天井で覆われていて窓も無く、右へ曲がって左へ曲がって、最近プレイしたゲーム「8番出口」にそっくりの景色が延々と続きます。ダンジョンか。
小石でも落として歩かなきゃ絶対に元の場所には戻れないレベル。
色々な条件をクリアして8番出口から出られるまで延々と地下道を歩くゲームです
細く、圧迫感の強い通路を抜けると、ぱっと視界が開けました。ロビーです。見慣れたはずの場所なのに、謎のダンジョンをくぐり抜けて来た上に祝日で照明を落とされ人っ子一人いないそこはまるで知らない場所のようです。
「あそこが入院セット受付です。ほら、あの光っているところ」
看護師さんが指さした先にぼんやりとした光が見えます。
そうか、お休みだから病院は暗く静まり返っているけど、家族が突然倒れてしまった人たちのための光があそこに小さく灯っているんだな。
薄暗いロビーの一角で小さな光を灯してカウンターに座っていた係りの女性がなんとなく頼もしく思えました。
私の母、脳梗塞で運ばれたんです。一体どうしたらいいのやら。でも、そこにいてくださってありがとう。
入院から少し日が経って、母はまだベッドに横たわっています。HCU、個室、4人部屋と移ったのはいいことなのだと思うし、ベッドから起き上がらないよう拘束ベルトを使われたり、チューブを引き抜かないようミトンをはめられているのは体が動くという証拠。
それでもまだ先が見えません。ホームへ戻れるのかしら。どこか病院を探さなきゃならないかしら。
この期に及んでもまだ、私はこれが深刻な事態なのかそうでもないのかが分からずにおろおろしています。
そんな状態で気持ちが落ち着かず、ただでさえ低くなっている調理欲がさらに低くなっている昨今です。でもこれではいけないと思って、なんとか台所に立つ努力をしています。
今日ご紹介する一品は『きくらげと水煮メンマの炒め物』です。
水煮メンマはラーメンに入れるメンマとは違って味がついていません。筍の水煮を売っているコーナーにありますが、もし手に入らない場合は水煮筍で代用してもOKです。
きくらげと水煮メンマの炒め物
- 生きくらげ(なければ乾燥きくらげを戻す)を洗って水気をふき取り、食べやすい大きさに切ります。
- 水煮のメンマを洗い、3センチくらいの長さに切ります。
- 人参は薄目の短冊切りにして、レンジで軽く加熱をしておきます。
- 卵を溶き、軽く塩胡椒、マヨネーズを加えてしっかり混ぜ合わせておきます。
- オイスターソース、醤油、砂糖、酒、水を混ぜ合わせ、合わせ調味料を作っておきます。
- フライパンに多めの油を入れて熱します。
- 軽く煙が出るくらい熱したら溶き卵を入れ、さっと混ぜ合わせたら半熟のうちに取り出します。
ここで火を通し過ぎないように注意。 - フライパンで豚肉の薄切りを炒めます。もし油が足りないようでしたら足してください。
- 豚肉の色が変わったら、きくらげ、メンマ、人参を加えて炒め合わせます。
- きくらげに火が通ったら合わせ調味料を加えて混ぜ合わせ、卵を加えて、汁気が亡くなったら出来上がりです。
※今回、画像の大きさを調節できませんでした。妙に大きな写真で申し訳ない。
次に病院へ行くときにソーシャルワーカーさんと母のこれからについて話をする予定です。これから一体どうなるのか。色々な可能性を考えながらそわそわと落ち着かない娘です。
ミカスでした。
ちゃま
母も施設で脳梗塞になり、職員の方が直ぐに気が付き救急で病院へ運ばれた事を思い出しました。連絡先は私一人で、仕事を切り上げ電話で話しながら、移動しながら、事は進んで行きます。同じだ同じだと思い出しながら読みました。
救急の治療室に運ばれた母の状況説明を受けながら、何枚もサインをした事を思い出しました。コロナ禍真っただ中の出来事でした。
お母さま、お大事に。
nemu
ミカスさんこんにちは。
大変でしたね。
私の義母も何度か脳梗塞を起こしました。
脳梗塞は、やはり大変な病気だと、今でも思っています。
その方によって、違いはあると思いますけども。
早めに処置をしていただいて、ほんとうに良かったですね。
全然違うみたいですよ。
義母は私たちから見てもかなりひどい状態でしたが、落ち着いた後リハビリ病院に移り、至れり尽くせりのリハビリの後、家に戻れました!
大学病院もリハビリの病院も、そこにいることができる日数が、決まっていたと思います。
入院も、リハビリもお母様にとっては大変だと思いますが、希望を持って頑張ってもらいましょう。
ミカスさんもお身体大切にしてくださいね。
ミカス Post author
ちゃまさん
本当に同じですね。
こういうことは、当たり前ですが突然始まって、ともすると当事者である私たち娘を置きざりにせんばかりの勢いでどんどん進んで行ってしまいますね。
そして本当に何枚もサインしますよね。
ちゃまさんはコロナ禍真っ只中だということ。更に色々大変だったんじゃないでしょうか。
母、なんとか回復してくれるといいのですが。
ミカス Post author
nemuさん
お義母さん、至れり尽くせりの後にお家に戻ることができたのですね。
nemuさんたちが見てもひどい状態だったというのにそこまで回復されたとは、なんて心強い。
幸い母はホームのスタッフの方が早く気付いて下さったので、それを無駄にしないよう頑張ってほしいと思っています。
自分の体にも気を付けつつ、私もちょっと頑張ってみます。
ぷうさん
ミカスさん 夜分にすみません
今このblogを読み、お母様が入院なさった事知りました。心配です。
こんな大変な時に知らなかったとはいえ私 先程まで呑気にthat’s dance「お薦めお菓子」の投稿していました。申し訳ありません。
お母様が1日でも早く回復なさることを願っています。
ミカスさんもお身体お気をつけ下さい。
kokomo
ミカスさん、大変でしたね。
素人考えですが、カテーテル治療などが必要なかったということは初期発見だったのでしょう。義理の弟が倒れたとき、妹も説明のメモをとるところまで意識がいかず、とにかく一刻も早く書類にサインし終わらないと、とばかり考えていたと言っていました。
妹さんもいてくれてよかった。そして、仕事とはいえ看護師を含む病院のスタッフさんも、きっと心強い存在だったと思います。
お母様がよくなりますように。
そして、こんな時にいまいち食欲が出ないかもしれませんが、ミカスさんも美味しいものを食べて乗り切ってください。
ミカス Post author
ぷうさん
いえいえ、お菓子の投稿とてもうれしかったですよ。ザツダンでも読ませていただきました。ありがとうございます。
こういうちょっとややこしい時こそ楽しいお話をしていただいて気持ちを上げたいですからね。
それにしても、松露饅頭、美味しそうです。多分、近々取り寄せちゃうと思います!
ミカス Post author
kokomoさん
ありがとうございます。
そうでした、kokomoさんの義理の弟さんもご病気で倒れられたんでしたね。
お若いからこその大変さが色々とあったでしょうね。
母はおそらくリハビリ病院へ店員になると思います。そこでのリハビリの結果によって介護施設に移るか療養病院へ移るかが決まると思います。
まずは母が頑張ってくれることを祈るのみです。
どこへ移ることになっても、また書類の束にサインしまくらなければなりませんが。
あ、食欲はあります(笑)