No music No life
夜中、BSの「駅ピアノ」をみながら、半分仕事のクリスマス・オーナメントたくさん作る。
その日の舞台は、チェコ、プラハ(の再放送)。
プラハ最古のマサリク駅におかれたアップライト・ピアノに、通りがかりの人々が、ひととき思い思いの音楽を奏でていく。
旅のしあわせな気分をうつすニーナ・シモン、激動の時代を生き抜いたおじいさんが、散歩の途中で奏でる「愛の讃歌」、音楽家を目指し、夢破れた男の「ワム!」、夜、残業帰りの幼稚園の園長さんが、くたくたに疲れた風情でキメる即興曲。
孤児院でピアノを習ってからというもの、音楽に支えられて生きてきた、と語る男性があった。音楽を仕事にしているわけではない。でも、折々に、音楽が心をなぐさめてくれた。音楽があればこそ、なんとかやっていける。
11才の少女が、家族に見守られて弾くリチャード・クレイダーマン「渚のアデリーヌ」。美しく、心地よいメロディーを生み出す純粋な喜びが伝わってきて、はじめてリチャード・クレイダーマンをしみじみいいなと思った。
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東西ヨーロッパのはざまで翻弄されたチェコ、プラハ。音楽を愛する者たちの街。ふつうの人の人生に、あたりまえに音楽があるのがこの街だ、と番組の中で誰かが言っていた。
「愛の讃歌」を弾いたおじいさんの若い頃、東側体制だったチェコでは、西側の楽譜は手に入らなかった。だから耳で聞いて覚えたのだと。ピアノを弾くときの気分は、まるで宙に浮いているようなんだ。
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ひとりひとり、それぞれ別々の人生。にもかかわらず、そこにはいやおうなしに、歴史や時代の色彩が重なり、いつか普遍的な物語性を帯びてしまう。
彼らの奏でる音や、選んだ一曲に、そうした「物語」をのせて聞いてしまう自分に、何か消費しているようなあさましさを感じて、ハッとする。
喪失や、振り捨ててきた大事なものや、色褪せた夢や疲弊する日常の中でこぼれおちるものたち、それらは、他人の人生だからこそ、ロマンティックで甘美なのではないか。それとも、彼らをふくめわたしたち人間は皆、多かれ少なかれ自らを、物語のなかに置いて生きているものだろうか。
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陳腐な言い方になるが、さまざまな人生が交差する駅には、ピアノがとても似合った。それは、持ち運びができないピアノが、「場所」というものと密接に結びつくからなのだろう。
そのままならなさが、ままならない中にあって、音楽が与えてくれるほろ苦い喜びが、人生そのもののように思えるからだろう。
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そんなふうに音楽を体の中に携えて、生きていけたらよかったな、と思う。私にはそれはできなかったけれど。
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by はらぷ
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【おまけ・クリスマス・オーナメントの作り方】
色の違う3枚の紙を、左右対称のツリーの形に切って、穴空けパンチでぽちぽち穴をあけてやる。半身ずつ貼り合わせると、立体のツリーのできあがり。
あけた穴から、隣の紙の色がのぞいて、それがツリーの飾りになります。
隣の紙の穴と重ならないように穴をあけるのが、ちょっとむずかしい。
穴をあけずにシールを貼ったり、メッセージを書いたりしてもかわいいです。
参考:
『伝える!おくる!かわいいひとこと切り紙』
くまだまり/著 PHP研究所 2009.11 ISBN: 978-4-569-77244-8
※品切れ 図書館や古書店などで探してみてくださいー。
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※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。
※はらぷさんが、お祖父さんの作ったものをアップするTwitterのアカウントはこちら。
Jane
はらぷさん、これはすごくかわいいオーナメントですね!最初の写真を見ながら作り方を考えていたら、最後に作り方が載っていて良かった。
うちの近所でも、そこそこ人通りのある道路に「お好きに弾いてください」ピアノが夏の間出してあったことが2年ほどありました。でも、プラハじゃないせいか、誰も弾いていませんでした。
はらぷ Post author
Janeさん、こんばんは!
気が付けばすっかりもう世間は年末年始。明日はクリスマス・イブです。
このオーナメント、かわいいですよね。
入っている研究会の会報につけるプレゼントで、数を作る必要があったのですが、たくさん並んでいる様も森みたいでよかったです。ぜひおためしを!
Janeさんちの近所にリアル「街ピアノ」!
そうかあ、弾いてる人いないのか(笑)
夜にこっそり誰かが弾いてたらすてきなのになあ。
テレビを見ていると、うまいへた、曲の難易度関係なく、いいなあと思いますが、じっさい自分が…となると「いやいやわたしなんて…」としりごみしてしまうのは万国共通?
番組では、大人の女の人が「去年からピアノをはじめた」といって映画「アメリ」のテーマをつとつとと弾いていた回もあって、それがなんだかじーんとしたのでした。
未曾有の今年、そちらのクリスマスはいかがでしょうか。
どうか、おだやかなホリデーが迎えられますように。
AЯKO
1か月前の記事に今気づきました、、、。個人ではなすすべもない状況ですが、元気にしてますか?
プラハは旅行で行ったのですが、街のあちこちの教会で夜コンサートをやっていて、私もその日の昼に渡されたチラシのコンサートに行きましたよ。気軽に参加できるのだけれど、モーツァルトが昔弾いたパイプオルガンだという!この何百年もの音楽の蓄積よ!
きっとプロの音楽家にも何レベルもあり、アマの音楽家はもっと多く、さらに音楽をやっている人が無数にいる街なんだろう、とその時痛感しました。
音楽が生活の一部だから、西側のポップスの楽譜なくたって耳コピーするとか、めげないわけですよ。
この数年とコロナで外出が減ってから、私はピアノを弾く時間が増えました。
無心に弾いていると外界の嫌なことを忘れてしまう、というのと、実際に自分が指を動かすと、曲の美しさと難しさの発見が日々あるんですよね。年を経てわかったことも多いです。
おばあさんになっても弾いてそうなので、習わせてくれた親に感謝してます。
はらぷ Post author
AЯKOさん
こんにちは!コメントありがとう〜。なんとか無事に生きています。
そうだ、AЯKOさんのチェコ行ったことあるんだよね。
いいなあー、うらやましい!一度訪れてみたい憧れの街のひとつです。
ご近所コンサートがモーツァルトのパイプオルガン!
歴史と音楽の層がちがうわ…。
そうなの、番組を見ていて、みんながそれぞれ自分なりに音楽とかかわり合って、プロやアマ、レベルの違いはあっても、音楽への愛情はゆるぎなくて、それが暮らしや人生と分ちがたく結ばれているのだなあ、とうらやましく感じました。
私はまだ、音楽へのコンプレックスにとらわれてしまって、「自分が弾く」という楽しみを取り戻せていないのだけど(単に練習ができないなまけものだという気もする…)、さいきんおはなしを語るようになって、少し「自分の体から出すことの喜び」みたいのをうっすら感じられるようになりました。
いまはまだ、お店でピアノを凝視する私に、オットが「ピアノ欲しい?」と聞くも、「いらない」と答え続ける日々(笑)いつかはなあ。
AЯKOさんのピアノ聞いてみたいなあ。以外に情熱的なピアノを弾くと予想している。