リモート葬儀
義母の葬儀は31日の正午からおこなわれた。
こちらの時間は夜の9時。キッチンのテーブルに座って、パソコンで葬儀の様子の中継を見た。
カメラは会場の真後ろの上の方にあると見えて、高窓から覗き見ているような感じ。最前列にオットと義母の親友キャロルの姿が見えた。参列者は全部で19人。小さな式だ。
式が始まると、会場の後方、つまり画面の下側から棺が現れ、前方に運ばれていった。棺の真上が見られるのは、わたしだけだなあとぼんやり思う。なんか神っぽい。じっさいにはこの神ポジション(視聴している人)がわたしのほかに3人いるっぽかったが。
オットの弟Dのときと同じ場所だったので、なんとなくその空気がよみがえった。足元が寒いということなどが思い出された。
式の進行は、Dのときよりも簡素で、友人のスピーチや詩の朗読などはなし。神父が話をして、聖書の一節を読み、オットが挨拶をして、また神父が話した。
わたしは直接出席できないかわりに、メッセージを書いて、オットに代読してもらった。
初めて義母に会ったときのエピソード、まれに義母がインド時代の思い出を語るとき、それが一冊の本のようであったこと、動乱と変容の世紀を、工夫とユーモアで切り抜けてきた類まれな女性、わたしにとって、ある種憧れの存在であったこと。
オットは、義母がすました顔をして、実はギリギリのジョークが好きだったこと、最後の最後まで、母との会話といえば料理と政治談義で、しばしば(なぜなら主張が相入れないので)議論の域を逸脱したこと、今でも何かあると、「これはこんど母に話そう」と思い、その習慣は当分抜けないだろうということなどを話した。
オットが母について、自分の母としてではなく、一個の人間として話したことが印象的だった。義母とオットの関係は、ぎくしゃくしながらも最後まで母と息子だと思っていたけれど、オットの中ではこのように、年月を経て消化されていたのだった。よいスピーチだったと思う。
冒頭で、母だったらこの葬儀の段取りも、もっとうまくやっただろうと言ったのがおかしかった。
○
教区の神父は、Dのときに義母が「Woman Hater」と渾名したファーザー・グレイシアはもういなくて、別の人に変わっていた。
いろんな意味で威風堂々としていたファーザー・グレイシアと違って、今度の神父ファーザー・ステファンは、ちょっと世捨て人ふうで、オットによると「相当とっちらかってる」ということだった。
葬儀の前に、家に訪ねてくれたのだが、約束の時間にちっともあらわれないと思ったら、正確な住所を持たずに出てきて道に迷っており(義母の家は、迷いたくても迷えない立地にある)、おまけに必要な書類を全部忘れてきていたらしい。
わたしもそのときちょっとスカイプで話したのだが、「え、いま日本にいるの?」と「でも英語話せるじゃない?」というふたつの疑問がわきおこっているようで、なぜ「でも」なんだ。そしてフェイスブックの友達で東京に住んでる人がいると言っていて、神父さんもフェイスブックやるんだなあと思った。
○
そのファーザー・ステファンの進行で、式は滞りなく進んだ。しかし最後、祝福の祈りが終わると同時におしまいの音楽が流れ始めると、ファーザーは退場し、参列者は取り残されて、え、このあとどうすんの…?という空気が流れ始めた。
神のポジション(カメラ)から見ていると、皆の困惑が伝わってくる。ど、どうするんだ?ファーザーに従ってみんなも退場したらいいのか?
TやDのときの記憶からすると、みんなで棺にカーテンが引かれるのを見送って、それからファーザーと一緒に順々に退場した気がするけど…。
退場するなら、最初に出なければいけないのはオットである。さあオットはどうするのか。キャロルと顔を見合わせ逡巡するオット。もう、退場してしまえ、神の私はやきもきする。
やがて列の後方で、もう、退場じゃね?となった人々が席を立ち始め、なし崩し的に皆で退場していった。何人かは、名残惜しげに棺にさわって、出て行った。
誰もいなくなった会場で音楽は鳴り続け、やがて静かに棺のカーテンが閉まり始めた。2人の係員がそれを見守り、カーテンが閉まりきると一礼して去った。部屋は無人となった。
その一部始終を、神のわたし(と他の3人)が見届けた。なんか、遠隔視聴していてよかったな…と思った。
思えば、会場に2人、係員がいたわけである。本来はどういう段取りだったのだろう、誘導…してほしい。
○
そしてそのあと、みんなで町のレストランに軽食をしにいったのだが、事前に相談していたにも関わらず、レストランに着くと料理人がいなくて(まじかよ)、食べ物が出てくるのにすごく時間がかかったらしい。
しかし最終的に料理はでてきたので、結果オーライだそうだ。
イギリス人は、そういうとき相手にキリキリしたりするのを、すごくかっこわるいことと思う傾向がある。
葬儀が終わると、主のいなくなった家の整理や、相続のあれこれやらが始まる。
家は、わたしが行くまでは待ってもらって、一緒に片付けをしたいが、かなうだろうか。
○
○
by はらぷ
○
○
○
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。
※はらぷさんが、お祖父さんの作ったものをアップするTwitterのアカウントはこちら。
月見団子
はらぷさん、
文章を書き続けてくれてありがとうございます。
はらぷさんの文章に救われることが多いのです。
年齢を重ね澱のように溜まっていく偏向性のある記憶、それらと共にいつの間にか固くなっていく心に風穴を開けてくださる、、、
強張った肩の力をふっと脱力させてくださる、、そんな感じと申しますか。。
ちょうど、14年前(!!)の実母のお葬式に関し、善良な夫に愚痴をたれてしまっていた(汗)直後にこの文章を目にしました。周りから秘密主義(笑)と言われる私がつい漏らした愚痴でした。(私の秘密主義なんて、つまりは口下手&ワンテンポ遅いだけ…だと本人は思ってます。とはいえ14年…汗)
しかし、マイルドに動揺する善良な夫を前にして、すぐ後悔しました。そんな私のどうしようもない感情(書いていて情けないです)をふふっと優しく肩を叩いてほぐしてくださるような、はらぷさんの文章でした。こういうの、何て表現するんでしょう?今の私には「ありがとう」という感謝の言葉しかありません。変でしょうか?
イギリス人の「かっこわるい」という感性に関する一文。私も何かと、かっこいいとかわるいとか思うタイプの人間ですが、還暦(来年)後は、いやたった今から!このイギリス人的感性を握りしめ生きていきたいと思いました。大袈裟ではなく、本当にかっこいいと思ったからです。
私は、はらぷさんの「三ツ矢歌子さん上映会に間違って行ったしまった」という話を読んで、はらぷさんのファンになりました。あんな素敵な空間が現実に存在するのだと夢を見るような気持ちになりました。はらぷさんの今後の文章、ご活躍を心より期待しております。
勢いで書いてしまいました。拙い文章、本当にすみません。とにかく応援してます。
はらぷ Post author
月見団子さん
こんにちは。嬉しいコメントを本当にありがとうございます。嬉しくて何度も読み返し、どうやったらいただいた大事な言葉に値するお返事ができるかしらと思っています。
お母様のご葬儀に関する、月見団子さんの心の底に溜まっていた澱のような思い、14年間は、それが表に出てくるまでに必要だった時間なのですよね。
わたしも、渦中にいるときに誰かに相談したり、気持ちをぶつけたりすることがすごく苦手なので、とっっっても(強調!)よくわかります。
「口下手&ワンテンポ遅いだけ」そう、そうなのですよね!14年1テンポ!
特に秘密にしようと思って言わないのではなく、口から出るところまで上がってこないだけなのです。自分の中で言葉を見つけられるまでは、ある種の「物語」として人に語れるようになるまでは。
それで、わたしも文章を書くのかもしれません。
でも、そのやっと出口を見つけた「愚痴」も、おそらくオットさんだから出せたことだと思います。動揺してくれる人というのは、月見団子さんにとって重大なことだったと受け止めてくれる人ということですもんね。その重みを、一緒に持ってくれる人が月見団子さんの近くにいてくれて、ほんとうによかったと思います。
今回のリモート葬儀、ともすればちょっと落ち込みそうなグダグダ顛末だったのですが、この「なんかすごい。」という場があったおかげで、ゆかいな思い出に…(違う笑)
月見団子さんのメッセージに、私こそ、下げていた砂袋がどちどちと落ちて、身軽になった気持ちです!
イギリス人の、このやせがまんとも思えるええかっこしい体質、ときには「困るんです!」とちゃんと言わんとダメな場面もあるのでは…だからいろいろいいかげんなままなのでは…と思うこともありますが、基本的に「鷹揚さ」と「見知らぬ他者への敬意」が美徳な国なんだなあと思います。
それも、年配者に言わせるとどんどん社会から失われているそうですが…でも若い人見てるとそうでもないんじゃないかなあと思う。
わたしもわりとすぐに「死ねばいいのに」とか思うタイプなので、見習いたいです!
「三ツ矢歌子さん上映会に間違って行ってしまった」回、ありましたね!
2017年2月16日「間違えるひと」 http://dosuru40.com/nankasugoi/47179/
あの不思議な空気は今でも忘れられません。もう6年も前なのか!
「…じゃあ、一緒に見ていく?」とおじさんに言われたときに、なぜ参加しなかったのか…今でも、今あの空間が目の前に広がったらぜったい参加するんだ!と思って生きています。
いつかその不思議な上映会で、月見団子さんにお会いできたらいいな。