ああ、ざっくり専業主婦。家計簿と備忘録のあいだ。
今年こそ、と毎年意気込みながら、きちんと一年間、家計簿が続いたためしがない。
気鬱な気分で、1年前に買ったわたしの「元家計簿」を、パラパラとめくってみる。
費目別に予算をたて、予算と決算を繰り返す家計運営はかなりむかしに匙を投げた。
だって、出て行くものは出て行くんだからしょうがないじゃない。ふがっ。
今年も5月くらいまでは事細かな収支の記録を残している。ところが5月を境に「大まかなことは通帳を見ればわかるしね」と記入の内容ががくんと荒くなる。
6月になると「半年間がまんした!ボーナスで買いたいもの!」という怨念リストがページを占領する。ボーナス時期になるとアマゾン・ユニクロ・ランズエンドあたりの通販の買い物がわらわらと増える。
一旦、通販解禁日が来るとわたしのものにしてもシュジンのものしても、注文・返品・交換・再注文~という流れがしばらく続き、どうかすると購入品と返品の価格の控えが混乱をし始める。(>_<)
そこへ怒涛の夏休みが割り込んでくる。家計簿の記入はザル度を増す。
6月以降のわたしのノートは、格段に数字より文字が目立つ。
数字の記載に嫌気がさし、文字でノートの余白を埋めようとしているなあ。これは。
手近にある新聞とかTwitterとか、ともかく目にとまった記事を引き写ししてるじゃないか。(>_<)
6/4 この日本の高すぎる家事への期待値は、「専業主婦と外働き夫」という高度成長期の性別分業時代の弊害なのかね。しかしまー、一度上げたものを下げるのは大変そうだなー。下げることによるデメリットだってあるし、ここでまた世代間ギャップが生まれるんだろうな。
僕は子供ら(と妻)にガミガミ言うのが嫌い。非常に時間の無駄だと感じる。僕がガミガミ言うってことは、仕組みが悪いんだよ。洗濯物をそこらへんに脱ぎ捨てるなら、導線が悪い。勉強しないならテンション上げの流れが悪い。僕のシュフの仕事はこういう改善にある。
6/5 主婦・主夫って、僧侶っぽいよな……。完全にヒーラー系だよな。
6/6 僕が働き始めて、子育ての負担が妻にも半分かかるようになったら、妻が今できる仕事のやり方はできなくなるわけだから、妻の自己実現の形は変わる。そういうデメリットもあるんだけどね。一個得たら、一個失う。なんでもそう。
お義母さんからすると、やはり妻が僕を「養ってる」と映っているんだろう。妻が一人で働いて、しかも育児をして、たいへんな思いをしているのに、ムーチョさんは専業主夫でグータラしてる、みたいな感じなのかな。イメージって、大きいよなぁ……。人ってイメージで見られがちだよなぁ……。
どうも、損してる、と捉えてるみたいです。妻ばかり頑張って、と。お義母さんも専業主婦だったんだけどなー。
6/11 仕事と家庭の両立なんて、目指すのやめたらどう? — chikirinの日記 —
夫婦がお互いリスクを取ってる、とお互いで認識できていれば、モヤモヤはないと思う。どちらか片方だけ悩むってケースだと、両立しようがしまいがモヤモヤすると思うな。
ちきりん氏のこの記事も、まーまた賛否を呼びそうだな。しかし、仕事両立神話っていうよりも、要は終身雇用神話だよな。自分が思い描いているレールから外れると“幸せ度”が下がってしまう、という恐怖。
僕が企業の会社員を辞めて主夫になった理由の一つに病気があって、それは当時本当に辛くて、自殺を考えた程なんだけど。でも、得たものはあったと思う。それは、レールを外れても幸せは普通にたくさんあるんだ、と実感して分かったこと。
それまでは、なんだかんだ今いるレールにいるのが家族全員一番安定していて、一番幸せ度が高い、と信じて疑わなかった。主夫にならないと見えなかった世界がたくさんあるのを知らなかった。だから僕は、子供がいわゆる一般的な教育、仕事、キャリアを積まなくても、きっと心の底から応援できると思う。
平野啓一郎 「女性の活用は失礼」母子家庭を語る~ 8/1 朝日新聞
(略)2歳の男児が遺体で見つかったネットのベビーシッター事件。自分の母親だって同じような状況になったかもしれないし他人事ではない。だからこそ、孤立しているシングルマザーの状況に胸が締め付けられる。
僕も子どもが2人いますが、一人だとお風呂に入れるのも大変です。制度がいくらあっても届かなければ意味がない。知らないことを責めるのは、船が沈没していく時に逃げ出すすべを知らなかった人が悪いというのと同じだと思う。
女性が子どもを家で育てるのは当然とする考え方には呆れています。家族の姿も多様です。僕は子どもの頃、お父さんの絵を描きなさいと言われてよく戸惑いました。遺影で知っている父を描くべきか、父代わりの祖父を描くべきか。両親がいるのが当たり前という考えに傷つく人もいる。
一方で、労働人口が減って来たから女性を「活用」して働いてもらうというのも失礼だと思う。小説家の活用とか男の活用とか、自分の身に置き換えればわかること。誰の、何のための活用なのか。結局、女性や母親の立場で考えていないから、そういう発想になる。活用されたくないですよ。誰も。
吉原毅 城西信用金庫理事長 8/10 朝日新聞 くらしの目 ~
私たちの暮らしがお金にとらわれ、行き着いた先が福島の原発事故だったのだと思います。しかし、「原発を稼働しないと日本の経済は大変なことになる」といった脅し文句が相変わらずはびこっていますね。原発は、廃炉費用や使用済み核燃料の保管コスト、万一の事故の補償を織り込めば採算も合わない。それでも推し進めるのは、もはや国家ぐるみの粉飾決済です。
―― 経済界の反応は?
直接言ってくる人はいません。むしろ沈黙。これが本質を表しているのかな、と最近思います。結局、みんな自分で意思決定せず、流されている。損得で言えば、言わない方が得、ということなのでしょう。お金でもって一人ひとりがバラバラに分断されて、自分のことで精いっぱいになっちゃって、先のことが見えなくなっている。
――大きなお金の流れに、一人の消費者があらがう術はあるのでしょうか。
普段の買い物がそうかもしれませんが、それぞれがいろんな機会を通じて企業にメッセージを伝えていけばいいと思います。「やっていることが二枚舌になっていませんか」と。自分の身を守るには、黙るのではなく、自分の言葉を持たなければなりません。
自分さえ良ければいいという価値観は長い目で見ると自分も幸せにはなれません。先祖から未来へのタテのつながり、コミュニティーというヨコのつながりの中に、具体的な幸せな暮らしはある。
お金はエゴイズムの結晶ですが、他者への思いやりとかそういったものに転化させて使うことがお金を生かすことになる。
お金は天下の回りものだし、情けは人のためならず、です。
「はじめてのアリストテレス 現代に問う、共同体に生きる意味」 文化の扉 朝日新聞~
政治は権利や自由と結び付けて議論されがちだが古めかしくも聞こえる言葉を持ちだす。小林正弥・千葉大教授(公共哲学)は言う。「従来の近代思想は政治と個人の美徳を切り離してきた。だが、政治も経済もうまくいかない。どうすれば?という問いに個人と政治をつなぐ『徳』に注目が集まっている」
小池龍之介 心を保つお稽古 「感情移入避け心軽やかに」 朝日新聞~
五輪では自国選手の活躍が注目されがちですが、自国選手を応援したくなる心理は、つきつめれば自分を応援しているのです。「自分」の範囲が、二ホンとか日本人全体にまで拡大する。自然な現象ですね。
(略)
「法句経」 第92偈にいわく
「心が自由自在な“空”となり、何にも感情移入せずに軽やかなら余計な跡を残さず美しくゆく」(小池氏による自由訳)
ドリアン助川 作家の口福 「クリームパン。“あん”がないのも人生さ」 朝日新聞土曜日be ~
家庭に恵まれず育ち、結婚も破局に終わった祖母は、クリームの入っていないクリームパンを食べ続けたような人だった。だが、これはこれで味わい深いのさ、と自分に言い聞かせてきたのかも知れない。もしそうなら、その姿勢は私が継いでいる。
勝ち負けではなく、味わうために生きている。
「人生は喜ばせごっこ」 やなせたかし
あああ、家計も「とてもざっくり」なら
自分が今年何に関心があったのかも「とてもざっくり」だ。(>_<)
※ わが家の購読紙が朝日新聞一紙なため、朝日新聞の抜粋ばかりですみませんm(__)m
上に引用させていただいたムーチョさんのtweet、今読み返しても「いい!」と思います。
あ き ら
こんにちは。例年になく寒い師走になりました。当方もサヴァランさんに
近い西国ですが、そちらはいかがでしょう?
書き抜いて下さっている文を、おいしくご馳走になりました。
ことに家族というものは、きちんと「喜ばせごっこ」できるといいなと改めて
思いました。家族以外の人とのほうがわりあいやりやすいように思うのです。
何よりも愛しいのに、家族の厄介さときたら。
前前回のご子息の試験と進路についての記事もきもちに響きました。
当時は嫌な言い方と思いましたが、中学の受験は、点数のことだけではなく
文字通り親の受験でもあったことよ、と思いかえされます。
母親にとっても句点だか読点だかを打たざるを得ない時。
よい味わいの春が来ますように、勝手ながら応援しています。
男の子が中学生になって羽化してゆくのを見るのは、たのしいですよ。
nao
こんばんは
家計簿は続きませんねーー
数年前に、家計を管理できない人向けの袋分けを試して
しばらく続いたのですが、結局足りなくならなきゃいいんだよ、って
自分を甘やかしてしまいます(笑)
お金は大事だけど、日本人はお金への信仰が強すぎて
すべて経済中心に世が回ってしまうので
バリバリ身を粉にして働くお父さんが偉く
金を稼がない人達の扱いがぞんざいになるような気がします。
もう息苦しいし、違う価値観を持ちたいけど
まだうまく行ってないような…
あ、うちも朝日新聞です。
いい記事も読み流すとすぐに忘れてしまうので
書いておくのはエライです!
テレジア
一応、コメントできなかった理由を書いておきます。記事に関係ない言い訳です。
下の娘、骨格がおかしらしく膝を時々おかしくします。送り迎えが必要になり、パソコンどころではありませんでした。
ざっと読ませていただいたところ、私も家計簿は苦手でして、備忘録の方が活況があります。これは加齢によるもので、やれファンヒーターの給油をしなくてはならないだとか、手紙を書くとかクリスマスカードの発送だとか そういうものばかりです。
家計簿をつけた方が安心して暮らせる 確かにそうなんですけど。毎年正月に決意を新たにするだけで終わっています。
サヴァラン Post author
あきらさま。
ああ、あきらさま。あきらさま。
こんな言い方はおかしいのですが
「喜ばせて」いただきました。まさに。まさしく。
「家族」とか「しごと」とか「くらし」とか。
ほんとうに厄介で割り切れなくてままなりません。
「中学受験」、おっしゃるとおりの飲み込めなさを抱えております。
「合格」とか「必勝」とか「制覇」とか。
メルヘンの余地なき昭和の精神論を暴徒化させたような現状。
意志や情緒の介入をよせつけぬ怒涛のベルトコンベア的時間の消費。
流れ着く先に何があるのか、五里霧中の寂寞たる親子漂流。
おそらく最初にこの方向へ舵を切ったわたしの方が
子供の中の「こども性」の剥奪というあまりに乱暴な自分の行為に震撼し
無益で理不尽で不合理な抵抗をこの期に及んでしているものと思われます。
「男の子の羽化をながめるたのしみ」
そうおっしゃっていただくことで大げさではなく希望を持ちました。
そして今が「ひとつの句点、あるいは読点」と、
そう言葉を与えられることで、ほっと息を継ぐ気持ちになれました。
一人相撲のおろかな母に
温かな温かな言葉をかけていただいて。。。
ほんとうにほんとうにありがとうございます。
サヴァラン Post author
nao さま。
はい!家計簿は続きませんっ(キッパリ)
でも、家計簿→備忘録にやがて降格する「あれこれノート」を
この時期になるとどうしても文房具やさんで買ってしまいます(>_<) このノートを買うときの心境は…大げさに言えばちょっとした「真空」状態。 自分でも毎年おかしなことになっています。 「あああ、あんたまた買うの?あほやね~」 「いやいや、2015のわたしは違うぞ」 「もういいから!これがアンタや!一生続けてなさい!」 どうかこの奇怪な現場を誰にも悟られませんように。。。 「おかね」のこと 「しごと」のこと 「かぞく」のこと 「しあわせ」のこと 答えの出ない問いかけを わたしはぐずぐずとこのノートに書きつけていくのだと思います。 もにゃもにゃもにゃ…ごにょごにょごにょ… nao さま すてきなお仕事 どうぞどうぞお続けください。 きっとたくさんの方が救われると思います。 今年はもうジャンボ宝くじをお求めになりましたか? (新年号で伺いました^^) マンション経営を経て インディーズのロッカーのストーカー的パトロン!! 大いなるロマンを胸に♪ 今年もお世話になりましたm(__)m
サヴァラン Post author
テレジアさま
「言い訳」が、あたたかくてありがたい。
おかしなことを言ってすみませんm(__)m
小さいひとは、寒くなるといろいろ心配ごとが増えますね。
お嬢さんのお膝はいかがでしょうか?
あら。テレジアさんも家計簿が苦手ですか?
なんだかうれしいな~。
ひとさまの「備忘録」
基本的に「見てはいけない」お決まりのものだからでしょうか
とてもとても惹かれてしまいます。
だって「ファンヒーターの給油」とか「手紙やクリスマスカードの発送」とか
もうこれだけで、とてもとても魅力的ですもの♪
ああ、備忘録は秘密の花園(笑)
来年も「安心」と「不安」の双方をゆきつもどりつ。
新年の決意は「新年、季節限定!」という消費マインドの導入も
もしかしたら案外いいのかも知れませんね。
どうぞよいお年を。