ゆみるからカリーナさんへ 2023年6月7日
これは昨年、カリーナとゆみるがメールで交わした往復書簡です。
カリーナさま
「梅雨は夏の始まり」と汗かきで夏が苦手だった夫が汗を拭きながらこの季節になるとよく言っていたなぁと、雨を見ながら懐かしく思い出しています。
先ほどカリーナさんのメールをもう一度読み返したら「亡くなった時からお葬式のこと」だったんですね!うっかり亡くなった時のことを書いてしまいました、すみません。次はそこのところを書きますので、今回のメールはイントロダクション的に読んでいただけると助かります。
夫の入院生活を思い出すと、恵まれていた点と残念だった点があります。残念だった点は夫と主治医の相性が悪かったこと。それに加えて恐らく私が看護師だったことで、夫の病状に対する説明が最後まであまりありませんでした。夫の様子やデーターを聞いていれば察してるよね的な感じで。そのせいで夫の最後の瞬間に義母が立ち会えなかった事が今も大きな心残りの一つになっています。
恵まれていた点はまだコロナのワクチンも出来ていない頃でしたが、入院した病院がコロナの重症患者さんを積極的に受け入れていた為にマンパワーが不足していて、病院の方から付き添いを遠回しにお願いされた事です。一人で歩くことが難しくなりつつあったのに、ナースコールもせずにトイレに行ってしまう夫の転倒を懸念してのお願いでした(入院患者が転倒すると色々と大変ですから)
そのおかげで当時よくきかれた、入院したら面会も出来ず退院もしくは亡くならないと会えないという状況は避けられて、短い間ですが最後まで側に一緒にいることが出来たのです。
付き添い始めてから夫の具合はどんどん悪くなり、麻薬系の痛み止めを点滴から始めると夫はずっと眠っているようになりました。もう少しだけ夫と話がしたくてほんの少し痛み止めを減らしてもらったら、我慢強い夫が震えながら痛みを訴える様子を見て夫と話をする事は諦めました。
その後夫の黄疸の数値が急激に悪化して、治療のため一時的に集中治療室的なフロアーに夫と一緒に移りました。そこでは大きな手術直後の患者さんや、透明なビニールカーテンで区分けされたベットに人工呼吸器をつけた重症なコロナ患者さん達が治療を受けていました。
そのフロアーはそもそもが付き添うような場所ではないので、私はトイレや身支度にはフロアーの外に出て、家族待機室の側のトイレや洗面所を使用していました。待機室にはTVもあったので売店で買ってきた自分の食事をそこでぼんやりとTVを見ながら食べていました。
その晩もTVを見ながら買ってきた弁当を食べていたら、手術後にフロアーに移ってきた患者さんのご家族らしき小柄で穏やかそうな感じの70代前後の女性が、職員に案内されて入ってきました。目が合うと軽く会釈を返してくれます。
自分一人ではなくなったので食事は止めてマスクを着けて弁当を片付けながら、つい職場で患者さんやご家族に声をかけるように「ご家族の手術が終わられたんですか?」と話しかけてしまいました。その女性はご主人が消化器系の手術が終わって少し前にこのフロアーに入ったと教えてくれました。弁当を持ってこの部屋に入る時に見かけた、手術後の排液用の管や点滴を何本も付けてフロアーに運ばれていた患者さんのご家族のようです。
「待機するのも大変ですよね、お疲れさまです」と言うと、「(ここにいるのは)ご家族が手術を受けられたんですか?」と尋ねられたので「夫が治療のために入っているんです。残念ながらもう手術は受けられなくて」とはじめに自分から声をかけてしまったので暗くならないトーンで答えました。すると少し間をおいて「まだお若いでしょうに・・・」と言ってその女性はうっすらと目に涙を浮かべていました。疲れているのに気を使わせてしまったと思い「そうなんですよね・・・。そろそろ失礼します、お帰りはどうぞお気をつけて」と挨拶して待機室を出て夫の側に戻りました。
翌日のお昼頃に待機室に行くためにフロアーを出たところ、偶然昨晩の女性にフロアーの前でまたお会いしました。ご主人が一般病棟に移るところでした。私に気が付いた女性は私のそばにくると「お二人が一緒にいられる時間が少しでも長く続くことを祈っています」と言って両手で私の手をそっと包んでくれたのです。夫の病名がわかって入院して付き添い始めてから2週間、その時私は初めて泣きました。
ほんの一瞬すれ違っただけの名前も知らないおそらく二度と会わない人からの、いたわりの言葉と気持ちは、夫が亡くなって時間がたった今でも思い出すたびに私を慰めてくれています。
私には夫と同じ膵臓癌で亡くなった年上の友人がいました。私がその友人の訃報を知ったのは、友人が亡くなってから半年以上が経ってからで、そのことがとても悲しかった経験があります。夫は意識がある時に友人に(自分の病気を)知らせるのは皆忙しいから退院してからにするよと言って連絡をしていませんでした。けれど私は年上の友人のことがあったので、夫の具合がいよいよ悪くなってから夫の友人の中で一番親しい大学時代の友人ご夫婦に連絡を取りました。
とても忙しいご夫婦なのに「連絡してくれてありがとう」と言ってすぐに面会に来てくれたのです。夫と同じ膵臓癌で亡くなった年上の友人の死を後から知った時の悲しかった経験から、夫の友人に連絡をしたのですが、夫の友人ご夫婦は今でも私を気に掛けてくれています。これも亡くなった年上の友人のおかげかなと、記憶の中の彼女の笑顔や声を今でも折に触れ思い出しています。
夫の友人ご夫婦が面会に来てくれた翌日から夫の血圧が下がり始めました。義妹夫婦に連絡をして、夫に義妹夫婦が来るよと声を掛けると、麻薬で眠り始めてからどんなに声を掛けても誰が声を掛けても返事がなかった夫が「はい、はーい」と機嫌の良い時にする二つ返事をしたのです。
久しぶりに聞く夫の声に、まだ大丈夫なのかもしれないと縋る様な思いで夫の手を握って名前を呼び続けました。けれど手に感じる夫の脈は徐々に弱くなり、夫の返事はなくなりました。それから30分後に夫は旅立っていきました。
長くならない様にと思ったのにすみません。これから雨が多くなりますが、スーちゃんとお散歩の時間は気持ちよく晴れます様に♪