カリーナからゆみるさんへ 2023年6月26日
これは一昨年、カリーナとゆみるがメールで交わした往復書簡です。
ゆみるさん
だんなさまが亡くなったときの様子、病室の様子と付き添うゆみるさんが目に浮かぶようでした。亡くなるまでの時間を一瞬も逃すまいと大事に過ごされたことが伝わってきました。親しい友人ご夫妻にも連絡されて、ちゃんと人生の最後を用意されたゆみるさん、すばらしいです。
私の場合は、何から何までとっちらかっていました。午後4時ごろに洗濯物を取り込んでいたら病院から電話があって駆け付けました。(もうすでに書いていたら繰り返しになってしまってすみません!)その前日にも病院に行っていて「お変わりありませんよー」と言われていたので驚きました。
シンガポールからひと月半ほど前に帰った娘は熱を出して寝ているし、熱があると病院の検温にひっかかるので連れていけないし、なんでだよ、と思いました。
病院に着くと慌てて病室に案内されたんですが、娘と最後に言葉を交わしてほしくてスマホのビデオ通話をオンにして「今、エレベーター。もうすぐ着く」なんて言いながら走り我ながら突撃系ユーチューバーみたいだな、と思いました。なんでいつもこんなにバタバタしているのか。
病室のちょうど真ん中のベッドにお医者さんが立っていて蘇生のようなことをしていましたが、その振りをしてくれているんだなとわかりました。私が着くとすぐに時間を確認して臨終を告げられたので。娘との対話など元々不可能だったのです。おそらく看護師さんが発見したときには亡くなっていたのでしょう。
夫は4年の時間をかけて固い固い木乃伊(ミイラ)のようになっていきました。死んだ夫を見て今さら大げさに謝罪するのも独りよがりな自己弁護みたいに感じて小さく「ごめん」と言いました。
その年の1月に転院した分院の病室は2度ほど短時間しか入ることができず、なじみなく、狭く、古い場所でした。
夫が倒れた直後から私があちこち探しまわって選んだ場所は、こんなところじゃなかった。屋上に車椅子で散歩できる庭があり、療養型とはいえリハビリに力を入れ、優しい理学療法士さんがいて、病室も清潔で美しかった。
どこでどうなってここに行きついてしまったのか。コロナウィルスが流行って病院は立ち入れない場所になり、そのことを自分自身も受け入れ、次第に慣れて、今、私は、こうしてここに立っている。
自分を弁護するようですが私たち夫婦は、これまで自分たちが歩んできた人生の(立派ではないけれど、それなりにやってきた)その結末としてはむごい最期をつきつけられたと思います。
夫は哀れだったし、私も体内に鉛を埋め込まれた。その後、医師は延々と転院後からの肺炎の状態をレントゲン写真とともに説明してくれるのですが「そんなもの、どうでもいいから。やめてくれよ」と思ってじっとしていました。
夫を等身大の人形にしてガシっと抱きかかえて家に帰りたい。帰る道々、空高く放り投げよう。そして、ズシリと受け止めよう。乱暴に腕に抱えて、走ろう。
そんな想像をしました。
夫のリアルな体は、リアリティがないのです。それから怒涛のお葬式になります。
まだ梅雨は明けそうにありませんね。ゆみるさんの記事、いつも楽しみにしています。また時間のあるときにお返事ください。