【月刊★切実本屋】VOL.12 イッツ ア ワンダーワールド
小学校の図書室でパートを始めて早いもので5年目になります。大きな声では言えませんが、そんな分際のくせに、長らく「課題図書」が苦手でした。
資料としてちょこちょこ読んでみると、悪くない本が多いです…って、エラそうですが、感動したり考えさせられたり、ほのぼのしたかと思えば、社会の難しさに一緒に悩んだりもしてしまう、さすが、その道の目利きの(たぶん)セレクトです。
でも、大人が思う「いい本」を選んで絶対的な価値基準のようにしてしまうと、こどもたちに「こういう本を読むのが正しい」と圧をかけることになる気もして、少なからずモヤモヤするのです。
そもそも、感想文を書くために本と出会わせるって、こどもを本嫌いにする温床になりかねない。自分を振り返っても、課題図書はなるたけ回避していました。自分を鋳型に嵌めることを強いられているみたいで。
このサイトの恒例企画【2017年、私のベスト本はこれです!】で、Cometさんが挙げた『ワンダー』は、全国学校図書館協議会選定、2016年度小学生高学年の部の課題図書です。
Cometさんの、なんの先入観もないまっすぐなコメントを読んだら、課題図書に対していつまでも成長のない先入観を抱き続けていた自分の浅さを指摘された気がしました。
課題図書ということで、この本の情報も多少入っていて、「ああ、そういう話ね」とわかった気になっていたことも、妙に恥ずかしい気がしたことでした。
Cometさんは、この本が課題図書だったとは知らなかっただろうけれど、だからこそ、自分は誰に対して、どこに向かって長年苦手意識を発動させていたのか、その「妄想一人相撲」がやけにバカっぽく思えたのでした。
『ワンダー』、そしてその続編というか番外編の『もうひとつのワンダー』 、課題図書という包装紙をビリビリと破いてもらって、読んでよかったです。
この物語は、顔に重度の障害を持つオーガスト少年を軸に、章ごとにオーガストの周囲の人物が一人称になって、それぞれの日常や気持ち、彼(彼女)から見える世界、が描かれます。オーガストを中心に語られてはいるものの、当然、ひとりひとりは違った人生を歩んでいます。その違いがあらためて興味深かったし、どの人物にも感情移入しまくりました。
『もうひとつのワンダー』も『ワンダー』と同じ一人称形式で、ここではオーガストはぐっと後ろに退きます。
『ワンダー』では、顔の障害のせいで、常に世間の矢面に立たされている存在として描かれていた彼が、続編では中景または遠景に埋没する感じが、わたしにはとても新鮮で、救われる気がしました。どんなに目立つ人、存在感がある人(いろんな意味で)も、その人以外の人生ではけっこう脇役なんだよな、と。
『もうひとつのワンダー』の最初の章の語り部は、『ワンダー』でオーガストをいじめ、学校から彼を追い出そうとする(ように見える)「稀代の悪役」ジュリアンです。
ジュリアンにどんな言い分があっても、彼がオーガストにしたことはひどい間違いです。でも、人は自分を守るためには視野狭窄に陥って間違いを犯しがちだし、間違いの轍は往々にして、ローリングストーンのようにいつの間にか加速度がつき、気づいたときにはとりかえしのつかない場所に自分を貶めてしまったりします。
間違いを「なかったことにする」ことはできないけれど、間違いを犯したかつての自分を、現在の自分が総力を挙げて「変えようとする」ことはできる。そしてそれは、もしかしたら、間違いを恐れ無難に生きることより勇気を要することかもしれない。
ジュリアンの章での、彼のおばあちゃんの存在とエピソードは、物語的に完璧過ぎる気もしましたが、作者が込めたメッセージの深さと力強さのせいか、小手先感はまったく感じず、心が震えました。
目の前に、顔に重度の障害を持つ人が現れたとしたら、どんな態度、表情をしようと、気持ちは全部相手にお見通しみたいです。そりゃそうだ、本人はそういう人に何十人、いや何百何千人と会い続けているわけだから。
わたしもたぶん、驚いたり恐怖を感じたりすると思います。でも感情自体はまぎれもないわけですから、恥じてもしょうがない。
恥じることがあるとしたら、その一風変わった玄関だけを見て、中への想像力を停止させることなのでしょう。この本を読んだこどもたちにそれが伝わって欲しいです…って、「課題図書」という玄関の表札のせいで、中への想像力を長年停止させてきたわたしが言うなよ、ですね。いや、めんぼくねえ。
by 月亭つまみ
木曜日のこの枠のラインナップ
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが…】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
ゆみる
つまみさん
私も「もうひとつのワンダー」を先月読みました。
作者のジュリアンを単なる悪者にしたくかったという
気持ちがよく伝わってきます。
世の中も人間もそんなに単純じゃないし。
それぞれの抱えた事情もあるし。
ジュリアンのばーちゃんのキャラとそのエピソードが
本当に良かったです。鼻水と涙でティッシュを3枚も使っちゃいました。
きっとジュリアンの子供もジュリアンって名付けられそうな気が。
Cometさんの紹介で「ワンダー」を読んで本当に良かったです。
映画も見ちゃいそう^^
つまみ Post author
ゆみるさん、こんにちは。
おおっ!お読みになったのですね、ワンダーワールド。
勝手に、作者はジュリアンをステレオタイプに描きすぎたという悔いがあったんだろうなと思っています。
本がベストセラーになって、ジュリアンが人々に断罪(?)される事態になって、その「みんなが同じ方を向いてひとつの考えに収束していく」ことに危機感を覚えた、的な記事を読んで、ああ、その危機感、わかるなあと思いました。
映画で、ジュリアンがどう描かれるか興味がありますね。
おばあちゃんのエピソードもコミの映画を見たい気もしますが、それだと、テーマが複数になってしまうから、やっぱり無理かなあ。
Comet
つまみさんだけでなく、ゆみるさんも読んでくださったんですね〜。
嬉しいなあ^ ^
私も『ワンダー』から『もうひとつのワンダー』まで一気読みでした。
そして「もうひとつ」まで読んだら、ジュリアンが一番印象に残ったのも同じ。
自分の中にいるジュリアンに気づかされもしました。
映画楽しみ。
http://wonder-movie.jp/
つまみ Post author
Cometさん。
「自分の中にいるジュリアン」、そうなんですよねえ。
自分のそれを認めないと、自分に対しても、他者に対しても、偏った想像力しか発動しない。
そもそも人間性が偏っている、というのとは別の、自分の都合のいい解釈しかしないっていう意味での偏り?
偏り?って疑問形にしてどうよ、と思うわけですけど(^^;
凜
こんばんは。
もうひとつのワンダー、昨日よみおえました。引き込まれていっき読み。良かったですー!!
停学処分でも反省することのなかった彼を、おばあちゃんの衝撃のお話がノックアウトしたけれど、それほど自分のしたことをきちっと認識するって難しいんですね。ちょっとずれるかもですが、むかーし親戚に検事やってるおっちゃんがいて、「どうしてそんなに自白させることにこだわるのか?」と聞いたことがあります。起訴するにじゅうぶんな証拠があってなおなぜ?と。「本人が反省する機会ってもうここしかないやないか。ここでしなかったらいつするねん。ここからの人生ぜんぜんちがってしまう」と言われたことがあります。なんとなく思い出しました。
でもちゃんと最後にジュリアンがオギーに謝罪の手紙かいたのはほんとによかった・・・あれなかったらやっぱり80歳になってもオギーは意地悪な同級生としかジュリアンのこと覚えてないですもんね。
学校の対応もきっぱりしていて、さすがアメリカ話が早いわと感心してしまいました。「3月のライオン」のひなちゃんの苦難とは雲泥の差で・・・(-_-;)
つまみ Post author
凛さん、こんにちは。
コメントをいただいていたのに、たいへん遅くなって申し訳ありませんでした。
「自分のしたことをきちっと認識する」、本当に難しいんですねえ。
自分も、こどもの頃、「行動しない」という意味でいじめに加担していたような気がして、今も「きがして」なんて書いているくらいですから、いいトシしていまだにきちっと認識していないのかもしれません。
検事さんの話、ああ、そういうことは全然考えたことがありませんでした。
なるほどー。
カンタンに見えるところしか見てないと、上滑りな人生になっちゃいますねえ。
本当に、あの手紙は大きかったですね。
読んでいるこっちも救われた気がしました。