◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第52回 とにかく風だ。
前回の記事でも書いたように、このサイトはめでたく十周年を迎え、最古参メンバーのわたしも感慨深い。…いや、別に深くはないが、それなりにしみじみしている。
思えば、失職と転職のはざまの時期に参戦したのだった。記事を書き始めた3か月後に、義母の整形外科手術が、ありていにいえば失敗し、転職直後のタイミングで義母の要介助(介護と支援の間ぐらいなので、この語にしてみた)が確定したのだった。正直、マジかよ、と思った。
義母の退院と同時に、わたしは転職先を辞めた。でも、それは義母のことばかりが理由ではなかった。転職先の遠さと左隣の席の女性の感じの悪さが追い風(「追い風」の使い方がまちがっているが)になったのだ。その過程は確か記事に書いている。
3か月間の東京都某区教育委員会庶務係の仕事で、週一の頻度で必ずやっていた「A4B4A3、両面片面、縦横、カラー白黒…が混在している分厚い会議の資料を、まちまちの部数ずつ、コピーしホッチキス止めする」より難しい仕事をわたしはいまだに知らない。あれはたいへん高度な脳内処理が必要だった、わたしにとっては。
途中で紙がなくなったり、詰まったり、誰かに声をかけられた日には、頭が爆発するかと思った。何回かやってみても大変さに変化がないので、もしかしたら自分だけがこの仕事の要領というかコツを掴めないのかと思い、ある日、感じのいい右隣の席の女性に問い合わせたところ、「あれ、本当に難しいよね。でも月亭さん、早いし間違いが少ないって係長が感心してましたよ」と言われ、そ、そうなんかいっ!?と脱力した。完成品を手渡すときの係長はいつも無表情だったし、褒められたことなど一度もなかったどころか、誤りを指摘されたことならあったからだ。
こちらとしては「長時間、コピー室に籠ってこのクオリティか」と思われているんじゃないかと心配していたのだ。それならそうと言ってくれよ、人は誰しも褒められたらまんざらでもなくて、まんざらではないことがパフォーマンスの質を高めるのだからさ。知らんけど。
左隣の女性は安定した感じの悪さを保っていたが、わたしが辞めると申し出たとたん、感じの悪さが払拭されて度肝を抜かれた…っていうか、ポカンとした。このあたりのことも、記事に書いてきた気がする。確認してないのでわからないが(確認しろ)。
なにが言いたいかというと、上記のエピソードから明らか…なのかそうでもないのか微妙、だが、なにかを長く続けることにわたしはさほど拘泥心(?)はない。向かないかも、ハード過ぎ、と思ったら、迷いなく場を離れる性質の人間である。
その良し悪しを自分でジャッジしたことはない。ひとつのことを長く続ける人に対して「幸あれ!」とは思うけれど、すごいとかえらいとはあまり思わない。①向いてる、もしくは②居心地がいい、あるいは③努力の方向性が自然にそっちになるのだろう、と思うだけである。だけってことはないか。でも、そういう人々に自動的に「正しい人」ポイントが付与されることには少し違和感がある。
なので(ここからが本題)、このサイトに十年も在籍するとは思わなかった。サイトが存続していること自体も奇跡だと思うが、自分が居続けていることもミラクルである。たまたま、上記の①~③に、がっちりとはいわないまでも合致した結果だろう。シャレか。
いつのまにか十年経っていた。だから、庶務係長に望んだように、褒めてほしい、とは思わない。思わないが、自分が場から動かなくても、自分が場を動かす風になることを心がければ、居心地は変わるかもしれないということを表明しても鼻白んだりしないでほしい。
風になることを常に意識したい、とは思っていない。場に漂う気配をかき回したいってことだけだったりもする。これは、このサイトのみならず、ほぼあらゆる場で思う。たとえその気配が正しいものだとしても、場がひとつの気配だけの独占状態になるのが苦手なのだ。余白がなくなり、風が通りづらくなるようで、すぐに息苦しくなる。
風好きとしては(藤井さんには特に興味はない。なんかゴメン)、「また、風のことを言ってるよ。聞き飽きた」と言われようが、受けて立つ覚悟はある。おおげさだが、ある。
サイトのメンバーも、寄稿者の方も、読んでくださっている方、このサイトのことなどまったく知らない数多の人々も、みな、風を感じて生きていければいいなあと思う。浜田省吾氏も「風を感じて」で「It’s so easy, easy to be free」と、宮沢和史氏も「風になりたい」で「かっこ悪くたっていい あなたと風になりたい」と、小田和正氏もオフコース時代の「風に吹かれて」で「ああ、今ならまだ間に合う このまま 明日の風に吹かれて」と歌っている。(懐かしポップス好きの面目躍如!)常に風は欲されてきたのだ。
今、無風状態の閉塞感に苛まれていたり、ままならなさに端を発する腐臭に苦しんでいる人は、行動基準の最優先を「人間として正しくあれ」ではなく「風の通り道を作れ」にしてくれることを願ってやまない。
胡散臭い人生訓を開陳して、自分でもその臭さを重々自覚しているわけだが、風さえ通せば大丈夫!と強引に決めつけ、これからもよろしくお願いしますの挨拶に代えさせていただきます。
by月亭つまみ
Jane
がっちり合致って、冴えてる~!
職場の嫌な同僚っていう、一見マイナスな要因も、風を起こしてくれたりしますよね。風はどっちから吹いてくるか分からない。
…で、転職に対する見解っていうのはこれまた人それぞれ、時に正反対。結局辞めてからどうなったかが分かるまで、辞めると残るとどちらが良かったか分からなかったりする。
「石の上にも三年」も「継続は力なり」は偉大な格言でその通りなこともあるし、残って自分で風を吹かせるまでいくっていうのもありだけど、年齢的にあと何年元気で働けるか考えると、そんなに我慢してる余裕もないとも言える。
そうはいっても年をとるほど再就職は難しくなるのも事実だし、先を見つけてからじゃないと怖くて辞められないとか、もっといくと、かけもちで新しい職場が合うかちょっと試してみてからじゃないと今のところ辞められないとか、臆病風が吹く。ある意味、年をとった人でも雇用される職場って、強風でどんどん人が飛ばされていく仕事だったり、もともと風を追い求めるタイプが多いため、常に出入りが激しかったりする。
そういう中で「自分に向いているから長く続けられる仕事を探す」って、蚤の市で掘り出し物を探すよう。結論どうなるか分からずに書き始めるつまみさんは、賭けに出るタイプの人なのだと思います。
大学決めるときからスペシャリスト目指してリタイアまでその道一筋の人もいれば、ある方向性の範囲内で色々試す人もいれば、ある時期にはこの職をやって良かったけれども次の時期には全然別の職をやるのが最適だったっていう人もいる。
色々な人が風を歌っているってことから考えても、風になりたいあるいは風に吹かれてどこかにいきたいって、たくさんの人が思っているんでしょうね。私の思い浮かべたのは中学の合唱で歌った「風になりたい」。私は伴奏をしていて自分はあまり歌っておらず、なんか歌詞でいいこと歌ってなかったか確かめようとサーチしたら、あまりにたくさんの種類の「風になりたい」という歌があったことに驚き。私が探したかった「風になりたい」は見つかりませんでしたが、深追いせず…、多分風と共に去りぬ。
…と終わろうとしたところで、「風になりたい 風に 風に 風になりたい 南の国の風になりたい」と最初の歌詞だけ思い出し、その歌詞で検索したら、出た!そっか南の風か~、南の風って、東北西の風とは違う憧れを誘う響きがあるよな~。その歌を聞いたら、空を飛んで遠くへ行く「魔女の宅急便」の女の子になったような気持ちになり、動画で小学生が歌っているせいもあってか、ちょっと泣いてしまいました。
私も風に吹かれた雲を見るのが大好きです。それだけでもせいせいした気持ちになるんですよね。
爽子
つまみさん、おはようございます。
このサイトの熱烈?な読者であり、「チチカカ湖」にいたっては、もう半分かぞくになりそうな入れ込みようだったわたくしですが、10年というと、感慨深いです。
風通し、何かにつけて必要ですね。
今年の年賀状につまみさんから「風」コメントあり、嬉しく、感じ入りました。
読者だったわたしも、記事を書くようになって結構時間がたってたので、少し驚いています。
この先どう転がっていくか、面白がっていきたいですね。
ああ、もう、いつのまにか金曜だよ。(笑)
つまみ Post author
Janeさん、思いをしたためていただき、ありがとうございます。
読んでいて、まさに!そうそう!ですよねー!の連続でした。
特に
>年をとった人でも雇用される職場って、強風でどんどん人が飛ばされていく仕事だったり、もともと風を追い求めるタイプが多いため、常に出入りが激しかったりする。
って、黒事実ですよ。
職場なり、仕事なり、技術なり、なにかをコツコツ続けて、その一点突破で生きた方が、強風で飛ばされることは、確かに少ない気がします。
でも、今更そう言われても、でもあります。
そういう風潮(あ、ここにも風が!)だからこそ、潮も吹き飛ばせ!とも思います。
言うは易し…ですが、行うは難し、なんて言ってる場合じゃない。
なにしろ、こっちは残り時間が少ないんすから(^^;
もともと、しくじったって失うものはあんまりないし。
↑そうでも思わないとやってられません。
その合唱の曲、存じ上げませんが、ひとつわかったことは、Janeさんはピアノを
お弾きになるということ。
ステキ~。
つまみ Post author
爽子さん、思えば、長い付き合いになってきましたね(#^^#)
チチカカ湖は、読んでくれる人の反応がほぼないまま、まあ、それでいいんだけどね、みたいなスタンスで続けていたので、コメントをいただいて、ああ、ふたりぼっちじゃないんだーと開眼したというか、とてもうれしかったです。
爽子さんこそ、自分で風を通して、自分が面白いと思う方向に転がっていく力のある人だと思います。
納得のいく人生なんて送れないものだし、「わたしは納得してる」と瞳孔を開いて表明するような人とはお近づきになりたいと思わないわたくしですが、おもしろくない生活はしたくないんですよねえ。
お互い、おもしろい方に転がりましょうぞ(願望)。