相田みつをの日めくりカレンダー
毎日である。
ドアを開けると、真っ白い便器と便座が鎮座ましている事務所のトイレ。便座に腰掛けて、ふと前を向くと、微妙にちょっと目線よりも高めの位置にあるのである。ときどき、見かけるけれども、見てみたいなあと思うと意外に見かけない。あれがあるのである。立派な書のような、へなちょこな手慰みのような、あれである。
ちなみに今日のお言葉は、
奪い合えば足りぬ
わけあえばあまる
みつを
である。
ああ、鬱陶しい。
いやまあ、相田みつをそのものに恨みはない。好きではないが、あってもいい。あってもいいが見たくはない。
それが毎日である。手を変え品を変えて、毎日毎日トイレに座ると真っ正面にかけてあるのだ。
自分の事務所なんだから、そんなに嫌なら外せばいいじゃないか、と思うことだろう。それが外せないのだ。何しろ、うちの前の事務所はトイレが別のもう一つのスポーツ関連の事務所と共同なのである。
ほらね、なんとなく、相田みつをを好きな人たちが集っている気がするじゃないか。
なにしろ、昨日は、
やれなかった
やらなかった
どっちかな
みつを
である。いつまで練習してもうまくならない人たちにとっては、身につまされるお言葉である。
僕も引っ越した当日に密かに外してやろうと思った。思ったけれど外せなかった。僕が小心者とか恐がりであるとか、ちゃんとした理由はある。けれども、いちばんの理由は、相田みつをという人物が嫌いというのではないからだ。
僕が嫌いなのは相田みつをカレンダーにして売ろうと思いつく人たちと、それを自宅のトイレではなく、みんなが使うトイレに付けようと思い立った人物だ。
しかし、僕がそれを外してしまうと、まるで「相田みつをが嫌って人がいるんだね」と思われてしまう。それは違うのだ。相田みつをの作品群を詩というのか書というのかは知らないけれど、彼は売れもしない作品群を死ぬまで書き続けた人である。そこを否定するものではまったくない。
だからこそ、僕は押しつけがましい日めくりカレンダーを外せなかったのである。日めくりといっても、このカレンダーは月が入っていなくて、三十一枚の言葉を毎月繰り返し繰り返し見なければいけないという、貧乏ったらっしいことこの上ない代物だ。
さて、「外したい、外したい」と思いながら、トイレの度にみつをカレンダーを見てきた僕だが、ついに引っ越しである。もう、このトイレを使うこともない。言っておくがこのトイレを使いたくない、というのも引っ越しの重要な要因の一つだったことは間違いない。
そして、引っ越しの日、ふとトイレに入り、壁を見ると、また以前に見たあれだ。
やれなかった
やらなかった
どっちかな
みつを
う〜ん、イラッとする。
はずせなかった
はずさなかった
どっちかな
まさと
知るかっ!
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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きゃらめる
新しい事務所のトイレには星野富雄(名前合ってます?自信ない)の花の詩画集カレンダーはいかがでしょう?月めくりです(^-^;
nao
そう!相田みつおも武者小路実篤も悪くない。
悪いのは、それをカレンダーや色紙にして売り出すことなんですかね。
押しつけられると何故こうも拒否感が強くなるのでしょうか。
高校時代、夏休みの課題図書が亀井勝一郎の青春論だったのですが
あんまり嫌で、私がなぜこの本が嫌いかということを切々と訴えた感想文を提出したら
現国の先生が赤ペンで、「文は人を表すといいます」と一言だけ書いて返してきました。
カレンダーをはずさなかったuematsuさんは大人だなと思いました。
uematsu Post author
naoさん
カレンダーは外しませんでしたが、落書きはしました。「みつを」の前に小さく「せんだ」と入れました。子どもです。
uematsu Post author
きゃらめるさん
地井武男さんの絵手紙カレンダーにしようかと。
きゃらめる
地井さんの絵は素敵ですね
uematsu Post author
きゃらめるさん
ですよね。でも、いやがる人がいるかもしれないので、シンプルになんもなしで(笑)