間違えるひと
予約していた時間に会場に行くと誰もいなかった。そんな経験をしたことはありませんか。私はあります。
毎年、図書館関係者にはおなじみの、前の年いちねんかんに出た子どもの本を総括するイベントというものがある。それに今年も申し込んでいたので出かけていった。
火曜日の朝9:30、茗荷谷駅。
会場があるビルの地下におりていくと、ホールは暗いまま誰もいない。
そういえば、いつも同じ会場だと思ってたいして確認もせず来てしまった。
今年は別の場所なのか!!
そう思ってあわててチラシを取り出して見てみたが、間違いなくここである。
株式会社○○○ビル、地下一階大ホール。最寄り駅は茗荷谷駅。受付9:30から、開始時刻は10時から。
時間も、合っている。
どういうことなのか皆目わからない。キツネにだまされているのか…。
しばらく佇んでみたが、目をとじて開いたら会場のざわめきが…というようなことは起こりそうもなかった。ときどき会社の人が台車を押して通り過ぎてゆくのできまりが悪い。
そのようなとき、人はどのような行動をとるか。いたたまれないときの友、トイレに行くのである。
と、とりあえず用を足そう…そしてもう一度チラシを見てみよう…。
あらためてチラシを見てみる。日付、合っている。時間、合っている。会場、合っている。おかしい。
日付、合っている。日付、7日(火曜日)、合っている。日付、3月7日(火曜日)、
3月7日。
合っていない。
…予想の斜め上をいく事態だ。一ヶ月間違っている。
そうとなったらこうしちゃいられないので素早くその場から退散した。うっかり知り合いに会ったら大変だ。(←日にち間違ってんだから会うわけない)
まるで、わたし早々に用事は済みましたよ、とでもいうように軽やかにエントランスを抜ける。そのとき、そういえば、そもそも入口に催し物の案内が出ていなかったよな…と気が付く。代わりに「面接にいらした方はインターホン○○番を押してお通りください」という貼り紙があって、スーツを来たひとたちが出入りしている。
私も面接に来て、うっかり地下に迷い込んだひとだと思われたのかなあ。暗いホールの前で何人か会社の人と思われる人たちとすれ違ったけれど、声をかけてくるものはいなかった。
私がこうして間違ったことを、今のところ誰も知らないんだ…。そう考えたら、急にそっちのほうが恥ずかしくなってきた。
さっき目が合った台車のひとに、すみません、って聞けばよかったのに。そうしたら、ギャー!!恥ずかしい!!!ってすぐになったはずで、そのほうが余程よかった。トイレに逃げている場合ではない。
思えば、職場の同僚や友人にもこの会に参加するものは大勢いるのに、じゃあ会場でね、とかお昼どうする?とか事前にやりとりしなかったこともおかしなことなのだった。しかもその後の打ち上げのお誘いを受けていたのに、そういやその連絡もきていなかったじゃん…。
このうちのどれかひとつでも横着がらずに誰かに聞いていたら、その時点で笑い話にできたのに…。世界は予兆に満ちている。しかし地上の我らはそれに気付かず生きているのだ。
私、この日有休までとっていた。馬鹿なのか。
去年の夏にも、申し込んでいたトークイベントの日にちを間違えていて、ものすごく楽しみにしていた会だったのに聞けなかったということがあった。
予報でこれから台風がやってこようという夜に会場のカフェにつくと、定員一杯の会のはずなのに店の中はひっそりとして、薄闇の中で数人のおじさんが固まってスクリーンを見ていた。
限りない違和感。無言でみつめあうおじさん達と私。
え…と…何か、とお店の人が声をかけてくれてやっと、
「あの、トークイベントの場所は…」と聞くと、お店の人はおお…という顔をして、
「そ、それは……先週です。」
と気の毒そうに告げた。
まじかよ。しかも先週…ということは終わっている…。
なんということだ。
呆然としている私に誰もかける言葉を知らず、奇妙な沈黙が流れた。
しばらくして、おじさんのひとりが私にチラシを一枚差し出して、
「まあ…じゃあよかったらこれに参加していく?」
と小さな声で言った。チラシには、往年の女優三ツ矢歌子の名前が書いてあった。
おじさん達はその夜、三ツ矢歌子の出演映画を重点的に皆で鑑賞するという会をやっていて、私はそこに飛び込んでしまったのだった。
今考えても、そのまま参加すればよかったなと思う。でも、あまりのショックと、これから台風がきて電車が止まるかもしれないし、という心配と、なんなんだこの会は…というつまらぬ良識が勝って、
「い、いや、次の機会に出直します…。」(←次はない)と断ってしまった。
結局台風は来なかったし、いや、来たってだいたい大したことになりゃしないんだから、ほんとう参加すればよかった。帰る道々、頭でっかちでつまらないにんげんだなあとつくづく自分がいやになった。
ちがう、日時を間違えやすいという話をしていたのだった。
こう堂々と何度も間違えると、さすがに自分の脳の機能が心配になってくる。しかし古い記憶を辿ってみると、昔からピアノのレッスンの約束をしょっちゅう取り違えて、土曜日なのに日曜日に行ったり、時間を30分間違えたりしていた。「こんな生徒はじめて」と先生がこぼしていたと、後でひとから聞かされたものだった。
そうなると、少なくとも昨日今日はじまった脳障害ではないことだけは確かである。今回の場合、2月と3月の曜日が同じ(2月7日と3月7日はどちらも火曜日)であったことが間違いの最大の誘因と思われるのだが、そう考えると、日にちも曜日も間違っていて、しかも後方に間違っていたためにイベントが終了していた8月の時と比べると、まだ傷は浅いといえよう。
仕事上で今までこうしたミスをしないでこれているのが奇跡のようだが、やはり仕事ではそれなりに気を張っており、普段は人より相当弛んでいるということなのだろうか。ピアノの先生には申し訳なかったが。
そのようなわけで、朝の10時に茗荷谷に放り出されることになった。風が強い。
8月の教訓として、そのまま帰ると後でひどく落ち込むということがわかっているので、近くのコーヒー屋で気を落ちつけたあと、映画を観て帰ることにした。
とはいえ繁華街の大きな映画館に行く元気はなかったから、飯田橋に出て、ギンレイホールでたまたまかかっていた『アスファルト』というフランス映画に入る。
平日真っ昼間の映画館は、おじいさんおばあさんでいっぱいだった。一人客が多い。お昼近いので、皆おにぎりを食べている。コンビニの袋に入った、パンではなくて、おにぎり。
ギンレイホールはいわゆる名画座で、2週間に1回上映作を入れ替えて2本立てでやっている。2本観て1500円。年会員になると、1年間見放題になってすごく得なので、みんなしょっちゅう来るのだった。わたしも、おばあさんになってひとりになったら家の近くにこんな映画館が欲しい。都会は、こういうところがいいなと思った。そこそこに元気なら、ひとりでいてもいいというところ。
映画は、寂れた郊外の団地におこる、ささやかな奇跡の物語だった。奇跡といっても、鈍色の空の下、思い通りにならない人生の中にあって、たまたま窓から舞い込んだ小さな羽毛が思いがけず美しい色をしていたというくらいの、他人同士の心の触れ合い、それがもたらす微かな生きる希望と変化の予兆。
それ以前につらいことがたくさん積み重なっているために、そのちいさなできごとが格別な喜びとして感じられるというのなら、そもそものみじめささえなければどんなにいいか、そう言ってしまえばそれまでだが、この荒唐無稽で、現実と夢のはざまに張った糸の上を足元も見ず歩くような不器用で孤独な人々の物語に、こんなにも心動かされるのは、やはりそれが人生というものの姿だからなのだろう。それこそが、生きていくに値する輝きそのものだとでもいうような。
2015年の映画だが、フランス映画の女の人はあいかわらず、寒いのにコートも着ないで、ガタガタと身を震わせながらカーディガンをかき合わせてタバコを吸っている。冬でもぺらぺらのプリント素材のワンピースを着て、伸びた髪を無造作にバレッタで留めている。登場人物は皆、見知らぬ他人への警戒心が危ういほど薄く、3語以上の連結した言葉は口にしない。仲良くなっても口数が増えない。私が映画をよく観ていた90年代と、ちっとも変わっていない。
そのことに、とても安堵する。たとえ世界が変わっても、フランス人は変わらない。いや、フランスのことなにひとつ知らんけど。
日にちを間違えるということをしなかったら、この映画のことを知らないままだったので、これもまたひとつの奇跡といえるだろう。
そして次回またこのようなことがあったら、こんどは迷わずチラシを受け取って、一緒に座って三ツ矢歌子の映画を観ようと思った。それが何かにかかわらず。
しかしまあ、その前に、やっぱり日時はできるだけ間違えないほうがいいな…と思った。
『アスファルト』予告編
監督:サミュエル・ベンシェトリ
2015 フランス
byはらぷ
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。はらぷさんのブログはこちら。
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凜
はらぷさん、こんばんは。
アクシデントがあったからこその出会いってすごく印象に残りますよね(^^♪
私も先日似たようなことが、いえ、違いますもっと根本的に迂闊なことがありました。
以前にカリーナさんが紹介されてましたが、私もつばた修一さん・英子さんご夫妻の「ときをためるくらし」という本が大好きで。
ある休日の中途半端な時間にたまたまテレビでその後のお二人のドキュメンタリーが放送されていまして、びっくりしてじっくり見たんです。それで、映画(「人生フルーツ」)が公開されるということだったので、神戸の新開地のアートヴィレッジセンターまで母と妹と見に行ったんです。
映画が始まってしばらくして気づきました。これ、テレビで見たものと全く一緒だと。
・・・・がーん・・・・
1700円ー!!!
自分の間抜けさにしばらく呆然としましたが、うーん、でもこういうのってアリ??
公開中の映画オール地上波デジタル放送テレビで公開しちゃう??
でもやっぱり感動してしまったんですけどね。
二人から「2度目なのに泣いてるやん!」と突っ込まれつつ。
初めて行ったその映画館もいいところだったし、3人でその後飲みに行った神戸エビスも楽しかったし、まあいいかあ・・・とは思ってますけど、でもやっぱりこの間抜けさ、何とかしたい。。。
AЯKO
誰もいない会場、不条理映画のようですね。私はまるでそんな経験ないから、特殊な能力なのかもしれないよ、、、。しかし今まで約束の日に会えていたのが奇跡のような(笑)。今後も前日に連絡を取ろう、と改めて思った次第です。
私も平日の午前に映画行くこと多いから、独りで来たおじいさんおばあさんでいっぱい、の雰囲気わかる!シニア料金に秘かに憧れてます。
れこ
はらぷさん、こんにちは。
今回のエピソードが愉快すぎたので(失礼!)
嬉々としてオットに話したところ、
「職場の後輩がJuneとJulyを間違えて一月早く海外出張に行ってしまった」
という話を聞かされたので、
若者だって間違えるんだ、ドンマイ!
てなことを伝えたくなりました。
その後輩氏がその後
どんな目にあったかまでは
怖くて聞けませんでした…。
はらぷ Post author
凛さん、こんにちは!
お…おう…1700円…。
そ、それは、凛さんが迂闊というよりは…私でもまちがえます!(って私に言われても)
きっと映画館の中に、同じように「えーーーーッ」ってなってた人ひとりかふたりは絶対居たにちがいありません。
でも、お母さまも妹さんも、迂闊な凛さん(←おいこら)のおかげで素敵な映画にめぐりあえてよかったことでした!
同じものでも映画館で観るとまた、音や映像の粒子やなんかぜんぜん違っていいですよね。
「人生フルーツ」、カリーナさんが紹介されていて私も気になっていたのですが、ますます見たくなりました。今検索してみたら、こちらでは東中野でやっている。
修一さん、阿佐ヶ谷住宅をつくられたかたなのですね。
取り壊しがささやかれはじめたときに、見に行ったことがあります。
空が広くて、皆のスペースがたくさんあって、みんなと個人、人工と自然のバランスがちょうどいいところだなあ、こんなところに住めたら、と思ったすばらしい場所でした。
本もさっそく読んでみます。凛さん、ありがとうございます!
はらぷ Post author
AЯKOさん、こんにちは!
たしかに、今思い返してみると、あの暗い会場の光景が、ロイ・アンダーソンの映画のような感じで脳内で再生されますね…。
しかし実態は、間違いに気付いた瞬間、マンガでいうと足の部分が車になって、顔はすまして口笛を吹きながら、というイメージ画像でぴゅーん!とトンズラしたというのが正解です(笑)
こういうのって、特に気をつけずとも誤字脱字が少ない人、みたいなもので、間違えない人はどうやったって間違えないものなのでしょうね…(先天的なものにしようとしている)
でも、ここ数年人と約束するときに心がけていることがあって、それは、返事をするときに待ち合わせ時間や場所を反復するということです。
「11時半に○○駅南口改札ね。」
と言われたら、
「はい!11時半に○○駅南口改札りょうかいです!」って書くの。
そうすると頭にしみ込む気がするし、間違っていると相手が教えてくれるのです。
というわけなので、これからもどうぞよろしくお願いします。
憧れのシニア料金。私たちがおばあさんになる頃にも、名画座が残っていますように。
はらぷ Post author
れこさん、こんに、ち、
わーーーー!?なんか、爆弾きた…!
が、がいこく…。スケールがでかすぎです。
ドンマイて!!!れこさん(笑)
JuneとJulyの罠、わかります。
MarchとMayもたまに、ん?となります。Mayが誕生日月なので助かっている。
そういえば日本語でも、やよいとさつきはどっちがどっち?と一瞬なるので似ていますね!(そうだろうか)
後輩氏、「行ってしまった。」のですよね…。
現地で間違いが発覚したとき、どのような思いが頭をかけめぐったのでしょう…。
そのまま逃亡したいと思ったに違いありません。
帰ってくるときの試練たるや…。
で、一ヶ月後また「行った。」んでしょうか。
彼がその後りっぱな大人になって、○○先輩の仰天エピソードとして後世に語り継がれ、のちの人々に生きる希望を与える存在になっていることを願ってやみません。