世の中、実はお金なんてないのかもしれないぞ。
世の中、便利になったもんだ。
財布なんて持たなくても、カードが1枚あれば「ピッ」とか「チャリン」とか妙な音がなって支払い完了だ。後に残るのは「払いましたよ」というレシートが一枚。なんなら、そんなのもなかったりする。
いやもう便利。休みの日にランニングとかするときにもいちいち財布持たなくても、たとえばAppleWatchがあればそれで事足りる。カードもいらない。便利というか奇妙というか、実感はあんまりないのだけれど、ああ、未来的。
クレジットカードの場合もそうだけど、結局、こっちは現金を一切見ないままで「払いました」とか「借りました」とか「返しました」とか「返せてないから今月末にお願いね」とか、そういうことが裏側で行われているわけだ。きっと、たぶん。
ただ、そういうことが裏側で行われているだけで、本当は何にも変わっていないのだ。相も変わらずお金は大事なんだよ、と僕たちは教わってきた。教わってきたから、そうなっているもんだと思い込んでいるのだが、え、本当にそうなの?と最近思うのである。
実は、そうなっていないんじゃないの疑惑である。ほんとは世の中、お金なんて必要ないんじゃないか説である。
お金がね、実はもうどうでもいい世の中がきてたりなんかしちゃったりして、と広川太一郎ふうに言ってみたりなんかしちゃったりするんだけども。だって、お金見てないんだから。現実に見てないものを信じましょう、と言われても疑っちゃうのが人の心ってもんさ。そういうルールになってるんで、信じてくださいって言われてるだけなのは周知の事実。ほら、政治家や官僚はちゃんと国民のために働いてますよ、というのが嘘だってもうみんな知っている。
もしも、ですよ。カードをピッとレジ端末にタッチして、「ありがとうございます」と店員さんが言っても、もしかしたらマシン上でそうなっているだけで、実はお金が動いていないということだってあるかもしれない。だとしたら、どうなるんだろう。
たまたまその時、マシンが不調でも、あとで「あ、えらいこっちゃ、この数字、ちゃんと動かしといて」みたいな感じで、コンピュータがやるのか人力でやるのか知らないけれども、帳尻を合わせるわけだ。きっと。
だったら、もういいじゃない。最初からお金なんて動かさなくても。入金も出金も、数字データを見て確認しているだけなら、もうあるってことで生きていればいいんじゃないのか、と思ったりもするわけだ。
もちろん、そう簡単にはいかないとは思うけれど、ものすごく簡単かもしれないと思ったりする。
ほら、あと何十年したら、AIが活躍してくれて、人間の仕事が半分くらいなくなってしまう、という話がある。まあ、偉い人たちがこぞって言うんだから、まるっきり嘘じゃないんだと思う。でも、そうなっても人間生きていかないといけないし、仕事がないからってご飯食べないで生きていけるわけじゃない。
となると、AIはお金もご飯もいらないわけだから、彼らが働いた分、仕事を奪われた人が仕事をした、ということにすればいいのさ。どうせ、現金見ないでデータで世の中回ってるんだから、AIが頑張ってお金を稼いだ、ということにしてね。そんで、世の中の稼いでいる世帯と稼いでいない世帯をマイナンバーから読み取って、みんなが平均的に幸せな世帯になるための稼ぎをデータとして振り込んでやればいいわけだ。
そうすれば、お金は僕らの幸せな暮らしの背後で、データとしてうごめいて、仕事をそんなに必死でしなくてもAIが「あの人の家は最近、ご主人がやる気出してないんだけど、悪人じゃないし、ああいう人がいてこそ、地域のコミュニティが成り立つんだぜ」と判断してくれれば、そこそこ暮らせるだけのお金が振り込まれたりする。
「あいつはどうしようもない奴だぜ」と悪名高い人物でも、AIが「だけど、あいつにそこそこお金やらないと、逆ギレして危険な目にあう人が出てくるぞ」と判断すればお金が振り込まれる。どうせ、データ上の話だから、資産何億円何兆円という人の口座から適当に融通すればいいのさ。そんな人たちがお金をチェックするのは死んで相続が始まる頃だ。そして、その頃には別のIT長者みたいな人たちがでてきて、その口座から融通すればいい。
そう考えると、もし仮にそんな世の中が来ても、いちばん恩恵を受けないのは、こつこつまじめに「自分の暮らしの分くらいはしっかりと稼がなければ」という人たちで、こういう人たちが大多数の日本は、もしかしたらそういう時代が来たところで、それほどの混乱もなく疑りや嫉みもなくスムーズにみんなが新しい時代に移行するんじゃないのか、という気がする。
そんな時代が本当にいい時代かどうかわからないのだけれども、仮想マネーで大もうけとか言ってるくらいなら、みんなで分かち合うほうがまだましだ、と思うだけだ。
もっとも、すでにそんな時代が静かに内緒で始まっているのかとも思うのだが、仮にこういうのが失敗するとすれば、それはきっと、バックヤードでお金がぐるぐる回っているふりをしているだけなんだよ、と言っても「そんなぐるぐるしてる仮想のお金でももっともっとたくさんほしいんじゃ!」と叫ぶ欲深い人たちが政治や経済の中枢に巣くっているからだろうな。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
https://store.line.me/stickershop/product/1150262/ja
クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
http://www.isana-ad.com/maron/pc/
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。