いい加減にしろよ。
所ジョージが歌手としてデビューしたということを知らない人も多いと思う。もともと、クレイジーキャッツの植木等の歌パートだけみたいな登場の仕方だった。
いまではテレビで所ジョージを見ることはあっても、いったい元々この人は何者だったんだろうということがわからないほどの脱力っぷりである。
そんな所ジョージが若い頃に歌っていた『いい加減にしろよ』という歌がある。所ジョージが若かったということは、僕も若かった。たぶん、僕が高校生くらいの頃の歌だと思う。
♪馬鹿もほどほどいい加減にしろよ
という歌詞で始まる歌だったと思うのだが、今の所ジョージのイメージ通り、本当に適当な歌で、だらだらといい加減にしてほしいということが綴られていくのだが、僕が当時衝撃を受けたのがラストの歌詞。最後の最後、この歌は次のような歌詞で終わるのだ。
♪お風呂の加減はいかがです?
いい加減です。
脱力の極みである。ラジオでこの歌を聴いていたのだが、最後の最後、所ジョージがにたりと笑いながら湯舟に浸かっている絵しか浮かばない。
この言葉は高畑勲監督の『となりの山田くん』に登場する「適当!」という言葉と同じくらいに僕のなかのあこがれの言葉である。
つまりはバランスなのだと。頑張るのもサボるのも、ちょうどいいくらいというのがあるのだと。
ここしばらく、本当に熱い湯に浸かりすぎてゆであがったような人や、逆にぬるい湯に浸かりすぎてすっかりふやけたような人たちとやりとりをしていて、ふとした弾みに所ジョージの歌が頭の中でリフレインされてしまうようになった。
熱い湯に浸かりすぎても、ぬるい湯に浸かりすぎても不思議なもので、人は他人を恨み妬むようになる。
人生は熱い湯だ、と思っている人は、「こんなに真面目に頑張っているのに、なんだか生きづらい。息苦しい」と感じてしまうだろうし、ぬるい湯に浸かりすぎた人は若い頃から人生の楽しみを味わい過ぎて、逆に「いい加減」や「適当」がわからなくなる。
そんなことをぼんやり考えていると、「いい加減」とか「適当」とかいう言葉の大切さが身にしみてくる。ここしばらく、東京の銭湯のびっくりするほど熱いお湯に我慢して浸かるのが当たり前になっていたので、今日あたりは自宅の風呂でちょいぬるめの、それこそいい湯加減の風呂に入ってみようと思うのだ。(って、ものすごくコラムっぽい〆を書くのって本当に恥ずかしい)
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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