◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第36回 令和版 こんなん出ました~?!
余白の多い文章に憧れる。
とはいっても、昨今の芸能人ブログで見かけるような、一行書いては三行空けて、また一行…みたいな物理的な余白ではない、いわば精神的な余白。
説明過多だったり言い訳がましくない、最小限とは言わないまでも、よけいな言葉なしに綴られている文章は、却って想像力を掻き立てられる感じで憧れるのだ。余白=余韻、とでもいうか。
これって、言葉を選ぶ力とか、言葉の適切な配置のような技術もさることながら、自分が選んだ言葉に対する信頼感、もっと、しかもおおげさにいえば、書くことや読み手に対しての「覚悟」が必要な気がする。
常々、どんな表現も他者を傷つけるリスクがあることを肝に銘じていよう、などと思い、口にしてもいるくせに、自分にはその覚悟が薄い。いや、覚悟はしているつもりなのだけれど、それは、平穏なときに、雑に非常時を想像するような、ムラとホコロビだらけの覚悟であって、いざというときの即戦力になるような覚悟ではないように思う。
そんな、反省というか羨望というかやっかみを、手にした本や、このサイトの他の方の記事を読んで、しばしば発動させる日々なのだが、最近、清水ミチコさんのブログを読んで、ことさらそれを強く感じている。
ムダな言葉が一個たりともなくない?!
チキショー!なにかと羨まし過ぎるぞ、ミッチャン。
ああ、清水ミチコさんのような文章を書きたい。
でも、でもわかっているのだ。橋本治の脳内ダダ漏れ饒舌文体や、綴られた言葉の9割方は一見、話の本筋とは関係なさげに見える(あくまでも「一見」ね)津村記久子が大好きだったりもするので、憧れたり羨ましいとは思いながらも、自分は、ムダな言葉のない、ミニマムな文章を書くことの方に舵はきらないであろうことを。
饒舌な文字の山という捨て駒(?)があればこそ、その中に光り輝く一文が出現したり、ああでもないこうでもないとこねくり回す過程を経たからこそ奇跡の言葉に出会ったりすることも、ないことはないもんなあ。
私は風見鶏か。
なあんて、な~んにも思いつくことがないまま書き始め、書いているうちに何か出てくるのではないかと思ったが、特に出ないのでこのへんで失礼します。
みなさま、くれぐれもお身体にお気をつけください。とりあえず、生き延びましょうぞ。
by月亭つまみ
爽子
ミッチャンのブログ。
わたしも愛読しています。
つまみさん、もしかして「暑い」と「コロナ」は書かない!
と決意して書かれました??笑
つまみ Post author
爽子さん、こんにちは。
決意は特にしてないんですが、コロナに対する思いの丈はTwitterにしつこく書いているし、暑いは忘れてました。
エアコンを効かせた部屋で書いていたからでしょうかね(^^;
ブログ最新版の頭皮マッサージャー、欲しくなりました(まんまと)。