◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第38回 そうか、もね。
朝ドラ「おかえりモネ」がもうすぐ終わる。この記事がアップされるのは最終回の前日で、記事を書いている現在は残すところ、あと2回だ。
前半はコアな視聴者ではなかったが、中盤以降、わりとちゃんと見た。BSを含めれば毎日4回も放送されるし、週末にはまとめ放送まである。至れり尽くせりである。
それでも、興味がなかったり薄かったりすれば見ないわけだし、自分と家族の勤務時間が曜日で違う身としては、毎日決まった時間には視聴できず、案外、取りこぼしもあって、まとめ放送に頼ることも多い。そんな週は、BSプレミアム土曜日の午前9時45分のまとめ放送開始までに、洗濯や掃除を済ませておこうと意識したりする。その脳内調整の感じは、まるで、ラジオドラマ「君の名は」の頃に銭湯を空っぽにしたという庶民だ(ちょっと違う?)。
「おかえりモネ」に自分がハマったのは、このドラマに通底するものに、私が偏愛する脚本家の木皿泉ワールドに近いものを感じたからかも。私が最近Twitterで開陳(?)したその根拠を転載します。
おかえりモネ以外の安達奈緒子さんの仕事はほぼ知らないが、タイプが違ってそうでいて、意外と木皿泉さんに近いものを感じる。木皿ドラマにも「幸せになってよし」「大丈夫じゃないときは大丈夫と言わなくていい」というセリフがあるし、今回の「かもめはかもめ」的立ち位置が「さらば恋人」だったり。
「さらば恋人」が出てきたのは「Q10」。弟と二人暮らしの柄本時生(ダメ親役は柄本明)が高校を辞めると知ったクラスメートが、寒空の下、彼のきったないアパートの前でこの歌を合唱するのだ。近所の人たちに苦情を言われながら。校長があったかい缶コーヒーを差し入れする。いいシーンだったなあ。
乗りかかった船だから続けると(誰も「乗れ」と言ってない)木皿ドラマ「富士ファミリー」で、住み込みの店員になった若い女の子が、雇用の悪条件でしかない何を言われても「大丈夫です」としか言わないことを心配して、雇い主の薬師丸ひろ子が「大丈夫じゃないときは…」のセリフを言うのでした。
そして「幸せになってよし」は、「昨夜のカレー、明日のパン」で、夫を亡くして7年経ち、恋人と結婚しようとする仲里依紗が夫と瓜二つのことば師(星野源)に会って、別れ際に「お幸せに」と言われ、「わたし、幸せになっていいのかな」と返したことに対する、ことば師の返答です。以上。
この二人(木皿さんはそもそも二人なわけだが)の脚本に共通する価値観というか世界観を、十代の自分に教えたらなんというだろうと妄想してみる。あの頃の自分は、とにもかくにも、努力だけが人を幸せにすると思っていて、自分はダメな人間で、弱音を吐く資格すらない、と決めつけていた。
時代の空気もあったかもしれない。だから、当時は何を言われても、救われることも、我が意を得たりすることもなく、「幸せになりたい、なんて安易に言うもんじゃない」とか、「そんな根性なしでどうする?!」と反発したのかもしれない。現在の若い子たちだって、どう受け取っているのかはわからない。
それでも、若いときに、誰かに「幸せになっていい」とか「大丈夫じゃないときは大丈夫だなんて言わなくていい」と言ってもらえること、誰かがそう言っているのを見聞きできることは、とてもラッキーだと思うし、無意識になんらかのセーフティネットになるような気がする。だから、茫洋とした将来しか見えない若い日々の中にこういうドラマが存在していることが羨ましい。
決して完璧でもなければ、大団円でもないこの世界だけれど、だからこそ、不完全でも肯定される世界を描いた作品を見たいし読みたい。そのことに気づく…というより、自分の中にその居場所を作るのに、ずいぶんと長い時間がかかってしまった。
でも…そうか!大事なのは居場所なのかもしれない。人はもちろん、言葉も気持ちも概念も、どんどん自分の中に居場所を作ってしまえばいい。そうすれば、誰でもなく、まず、自分に認知される。自分でその存在を認めたらこっちのものだ。だって、こっちというのは、まぎれもなく自分なのだから。
これからはもう少し堂々と不完全に生きてみようかなあ。それが加齢を華麗に生きるコツ…かもね。
by月亭つまみ