坂本龍一とか、高橋幸宏とか。
個人的になんのつながりもないのに、有名人をさん付けで呼ぶようになったのはいつからだろう。と問いかけるまでもなくSNSが流行りだしてからだな。僕だってSNSで「あの映画はとてもおもしろい」と呟いたとたんに監督本人から『いいね』が付いたときには驚いた。ということは、先々週あたりに書いた「あの映画はくだらない」というのも絶対に見ていたはずだ、と考えてなんとなく「いや、あれはそういうつもりでは」と冷や汗をかいたりしたのだ。ああ、恐ろしい。
それから、なんとなく、監督名や俳優名を呼び捨てにするのは憚られる気持ちになってしまった。ほんと、気が小さい心配性の人間にとって、こんなに生きづらい時代はないな。
さて、坂本龍一である。会ったこともないし、いちファンだからな。坂本龍一さんはなんて逆に恐れ多くて言えない。というわけで、坂本龍一である。
高橋幸宏についで坂本龍一まで逝ってしまった。YMOは最年長だった細野晴臣を残して……と書いている最中に、僕のAirPodsから急に細野晴臣の『結願』という曲が流れ出した。これはわかった頃に見たアニメ映画『源氏物語』のサントラだ。たまたま坂本龍一のことを書こうとして、たまたま流れで細野晴臣と書いた途端に、細野晴臣としか思えない音色が耳元から聞こえる。何万曲と入っているライブラリをシャッフル再生していたのだから、たまたまに決まっているのに、なんとなくそこには意味があるのか、と思ってしまっている。そう思っているのはたぶん、かなり僕が精神的に弱っているからだと思う。そして、なぜ弱っているのかと言えば、やっぱり坂本龍一が亡くなったからだ。その少し前に高橋幸宏が亡くなったからだ。
僕のiPhoneのミュージックには『好きな曲』というプレイリストがあるのだが、好きな曲は時々変わる。変わるので、プレイリストの中には『好きな曲』の次に作った『いま好きな曲』というリストが在り、他にも『最近、好きな曲』があり『好きな曲ベスト』などが混在している。そして、その全てに坂本龍一の『トニー滝谷』と高橋幸宏の『A Sigh of Ghost』が入っている。どこかに移動するとき、コピーを書くとき、そして、このコラムを書くときにも必ず『好きな曲』を流しているのだから、この2人の曲を聴かなかった日がおそらくこの数十年なかったかもしれない。特に『トニー滝谷』は精神的に追い詰められたときには子守唄代わりにジッと聞いていた時期がある。
いま、坂本龍一と高橋幸宏が逝ってしまって、とても悲しい。悲しいけれど、なんとなく大好きだったYMOが細野晴臣だけになってしまったという思いの方が強い。YMOという希有な集団が生まれたのはやっぱり細野晴臣がいたからだと思う。けれど、そこに坂本龍一と高橋幸宏がいなければ、あのYMOにはならなかったのだ、という思う。そう考えるとすべてが必然なんだなあと思う。そして、僕は必然なんて信じていなかった自分が、必然の前でねじ伏せられているような気持ちになっているのかもしれない。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。
ね
匿名
幸宏さんの宏の字が間違ってますよ。
uematsu Post author
匿名さん
申し訳ない!
直します!