家のセールスマン
映画を見に行こうと、とある私鉄の駅の改札を出た。目の前にバス乗り場があるロータリーがあり、ちょっとした広場があった。そこに、スーツ姿の若い男が3人ほど立っていて、寒空の下、行き交う人に声をかけている。あまり若い人には声をかけない。中年以上の男女に声をかけている。それなら、僕も声をかけられるのかと思うと、どうやら相手のターゲット年齢を上回っているようで、声をかけられない。しばらく様子を見ていると、どうも建売住宅のセールスらしい。子育て真っ最中世代から、定年までに5年や10年はありそうなあたりまでを狙って声をかけているようだ。
しかし、あからさまに声をかけられないのは、悔しいので、男たちのそばに設置されている建売住宅の間取りなどが描かれた看板のようなものを見てみたりする。すると、なかの一人が「どうですか?いい家ですよ」と話しかけてきた。魚じゃあるまいし「いい家ですよ」で売れるとは思えないのだが、ひとまず、声をかけることが大事なのだろう。こっちも「どんなふうにいいの?」なんて聞いてみる。「刺身がいいんだけど、どれがいいだろう」と魚屋さんに聞いているように。
すると、先輩格らしい男も近づいてきて、家の詳細を説明し始める。僕の方は「そんなことより、本当に買う気があるのかどうか確かめた方がいいんじゃないの?」なんて思っている。でも、相手は全然聞いてこない。はなから冷やかしだとわかっているのだろうか。それはそれで悔しいので、「娘が結婚を控えていて、新居を買ってやろうかと思ってね」とみえすいたホラを吹いてみたりする。すると、驚いたことに、セールスマン二人の距離がぐっと近くなり、張り込みの刑事が3人で犯人の動向をヒソヒソ伝え合っているような様相を呈する。
で、なんとなく緊張しながらも面白くなって、いろいろ聞いてみると、その家は駅から歩いて数分のところにあり、しかもなかなかに豪華な仕様で価格も高い。聞くだけ聞くと、僕のほうは「高いなあ」と渋ってみるのだが、先輩格は僕をとりあえずそこに連れて行こうとする。いやいや、どっちにしても今日は行かない、と僕が言うと、いえいえ行きましょう、とくる。いやいやといえいえの応酬である。と、そこへ、もう一人のセールスマンがやってきて、僕の目の前にいた二人になにやら耳打ちする。すると、二人はさっきまでの情熱的なお誘いはなんだったのか、というくらいにあっさりと引いて、名刺だけを渡すと、「また、お時間のあるときに」と言い残して立ち去ったのだった。
その後、3人はベビーカーを押した若い夫婦と、その親らしい老夫婦のところへ行き、しばらく話した後、どこかへ移動していった。おそらく、買うかもしれない、というカタい客が現れて現地へ案内して行ったのだろう。おかげで、僕は解放されて助かった。助かったけれど、なんとなく面白くない。「俺だって本気で買う気だったんだぞ」なんて思ってもいない言葉を思い浮かべながら、その場を立ち去ったのである。どれだけ暇人なのか、僕は。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。