『PERFECT DAYS』の影踏み
ヴィム・ヴェンダースが撮った日本映画『PERFECT DAYS』をもう一度見たくなって映画館へ足を運んだ。渋谷区のトイレ掃除をしている男の何気ない日常を描いた作品だと宣伝されているが、実はそれほど何気ない日常でもない。
ここから先、この映画を見ようとしている方には、いわゆるネタバレ的なことも書いているので、見てから読むか、もういいやと思って読むかしてください。
ということで、何気ない日常と言いつつ、そうでもない。役所広司演じる平山は、若い同僚に金を貸したことで、ガソリンを入れられず大好きなカセットテープを売るハメになったり、その恋人からなぜかほっぺに口づけをされたり、突然、姪っ子が家出してきたり、飲み屋のママが元旦那と抱き合っている場面を見てしまったりする。と、書き上げてみると、それぞれ自分が体験していたとしたら、誰かに「ちょっと聞いてくれよ」と言いたくなるような話ばかりだ。何気ない日常などではないのだが、見ていると何気ない日常に見える。というか、日常的に見えるように撮られている。このあたりが、ヴェンダースのうまいところだと思う。
出来事をドラマチックに描くのではなく、何かが起こってもそれをじっと見つめている平山の視線を追っているからかもしれない。主人公の一貫した視線を通すことで、この映画の物語が一人の男の日常として定着されているような気がする。
僕はこの映画を映画館で4回見たのだけれど、毎回、新しい発見がある。以前にも見たはずなのに、強く印象に残る場面が毎回違うのだ。今回は、行きつけのスナックのママ(石川さゆり)とその元旦那(三浦友和)との関係だった。いつものように、スナックへ行くと、もう開いている時間なのに、鍵が閉まっている。おかしいな、と平山が店の向かいにあるコンランドリーで文庫本を読みながら、開店を待っている。しばらくすると、ママが店に入っていくのを見る。いそいそと平山がドアをあけると、ママと元旦那が抱き合っていた。逃げるようにドアを閉めて自転車にのる平山。そのまま平山は大きな河川敷でうかない顔をして缶ビールを飲んでいる。そこに元旦那がやってくる。
元旦那が言う。「影って重ねると濃くなるんですかね」と。そう言われた平山は「やってみましょうか」と答えて、自分たちの影を重ねて見る。「濃くなった気がしますね」と平山は言うが、元旦那は「いやあ、一緒じゃないですか」と首をかしげる。すると、平山が「いや、濃くなってますよ。一緒だなんて、そんな馬鹿なことないですよ」と語気を強める。この場面の二人が本当にうまい。人生に対する苛立ちのようなものが、この場面に込められる。
そして、二人が影踏みをはじめる。最初は互いに遠慮しながら、少しずつちょっと本気になって影踏みをする。この場面がとてもいい。大人になって誰かと知り合う機会はどんどん減っていく。だから、ほぼ初対面の相手とやり取りするのは照れくさい。しかも、互いに気になる女を仲介しての関係だ。そんな二人が互いに影を踏み合う。相手の影を踏んでいるのに、自分の影を踏んでいるかのようにはしゃいで見えたり、ちょっと本気になっているように見える。
どちらにでも取れるけれど、平山には平山の哀しみや喜びがあり、元旦那にもそれがある。そして、スナックのママにも姪っ子にも、なんならいい加減にしか働けない若い同僚にも同じように哀しみや喜びがある。この映画を見ているとそんなことを思ってしまい、主人公と同じように揺らめく木漏れ日を見ているだけで気持ちが揺れてしまう。
こうして書きながら、映画のことを思い出していると、どうしても気になる場面が出てきた。どうしよう。公開が終わるまでにもう一度くらい見に行ってしまいそうだ。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。