矢野顕子の『ジャパニーズ・ガール』を聴くまで。
矢野顕子が好きなのである。似合わないという声が聞こえてきそうだが、好きなのだから仕方がない。
まだ中学生の頃、毎号買っていた音楽雑誌で草刈正雄か誰かが、「私の好きなアルバム」みたいなコーナーで矢野顕子の『ジャパニーズ・ガール』を取りあげているのを見て、いそいそとレコード屋さんへ買いに行ったのである。当時まだCDが出ておらず、大きなLPアルバムだった。レコード屋さんで見た『ジャパニーズ・ガール』は怖かった。ジャケットが浮世絵風の切手を模したデザインで、麻呂みたいな女性が大きく描かれていて、隅っこに同じように浮世絵風に描かれた矢野顕子らしき人物の絵もあった。それがなんだか怖くて、僕はそのアルバムを買わずに、ポール・マッカートニーの新譜を買って帰ったのだった。
それでも、矢野顕子が気になって気になって。それからも何度かレコード屋に足を運んだのだが、どうしても買えず、僕は矢野顕子のことを雑誌の記事としてたくさん読んだり、FM放送で流れる曲を聴いたりして、それなりに情報を蓄え続けた。
その当時、僕の好きなミュージシャンは男ばかりで、女性アーティストはいなかった。でも、友だちに「好きな女性ミュージシャンは?」と聞かれると、「矢野顕子」と答えるまでになっていたのである。アルバムを一枚も持っていないのに。もう、矢野顕子耳年増状態である。矢野顕子のディスコグラフィーもソラで言えたし、『ジャパニーズ・ガール』でバックバンドを務めたアメリカの有名なバンド、リトルフィートの面々が、録音を終えた後「僕らでは役に立てなかった」とギャラを受け取らなかったという逸話は知っているのに、アルバムを持っていないなんて妙な話である。
ということで、僕は当時付き合っていたヨメの誕生日に矢野顕子の当時の新譜『オーエス・オーエス』を購入したのである。やっぱり『ジャパニーズ・ガール』は買えず、自分のためではなく彼女へのプレゼントだったけれど、僕はついに矢野顕子のアルバムを購入したのである。もうその時には僕は20歳を越えていて、アルバムはCDだった。そして、『オーエス・オーエス』のジャケットは矢野顕子の可愛らしい写真で、曲調も明るく元気なアッコちゃん路線だった。そこには、『終わりの季節』や『ラーメン食べたい』といった後のスタンダードもたくさん入っていて、僕は彼女と一緒にそれを何度も何度も聴いた。
さて、『ジャパニーズ・ガール』である。あがた森魚が感動しすぎて、自分もマネをして『日本少年』というアルバムをつくってしまったくらいの名盤である。なんと、僕はそこから10年余り、『ジャパニーズ・ガール』を買えないままだった。ジャケットがそれほど怖いかと言えば、それほどでもない。なんとなく、もう縁がないと思い込んでいたのかもしれない。でも、約10年後に僕は『ジャパニーズ・ガール』を買ったのである。というか、買ってしまったのである。矢野顕子の初期のアルバムをセットにしたボックスが発売されていて、僕はそれを買ってしまったのである。しかも、『ジャパニーズ・ガール』のことなど思いもせずに。そして、開封して気づいたのだ。「ああ、ジャパニーズ・ガールが入っている」と。
そして、その『ジャパニーズ・ガール』のCDが、僕の部屋にあったCDプレイヤーにかけられるまで、そこから三年の歳月を要することになるのである。続く。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。
爽子
こんにちは~。
uematsuさあん。わたし、LPの「Japanese Girl」もってました!
そして、去年なつかしくてCD買いました。
高2のあの頃がよみがえって、ひたすら懐かしかった。
そういえば、厚生年金ホールに矢野顕子のコンサートにも友達とでかけました。
普通に買ったのに、前のほうの真ん中の席に座れました。
たのしく、気分の上がる歌声で大満足。
Japanese Girl のなかでは、「電話線」がすきでした。
uematsu Post author
爽子さん
『電話線』、いいですよねえ。
大好きな曲です。
そう言えば、何年か前に『ジャパニーズ・ガール』をアルバムの曲順に演奏するコンサートに行きました。
上原ひろみとやるコンサートにも行きたいなあ。