Posted on by つまみ
みんな探してるからね、応援物件を。「えっ、お父さんが亡くなってるの?」
『堤防決壊』ナンシー関・町山広美 著 (文藝春秋)より
稀代の名コラムニスト故ナンシー関と、ナンシーもビックリの毒舌王、町山広美右衛門の、泣く子も凍る対談集からの言葉です。
オリンピックのたびに私は「応援」について考えてしまいます。
応援を否定しているわけではなく、「応援」という言葉の絶対善な感じが気になるのです。
あんた、なにもの?と。
今回のソチ五輪でも、NHKがガンガン押してくる「全力応援」という四字熟語が気になって引っかかっていました。
どこに向かっての誰のための言葉で、主語は何なのか。国民の皆様か。
そして「全力応援」に続くのは、「しますよね」なのか、「の義務がある」なのか。
四文字だけの寸止め状態は姑息だと思ったりします。
『堤防決壊』での2人の会話はこの後、こう続きます。
「そりゃ、出物の物件だね。応援しなきゃ」
「どの人なの、お父さんが死んだ人は!」
by月亭つまみ
プリ子
わかります~
私もオリンピックにはあまり乗れないタチで、
好きな競技(しかも日本人はまず出場しない)しか見ていません。
真央ちゃんは素晴らしかったけど、ドラマを最初から狙っているような「応援」と
それをあおるマスコミには、しらーっとしてしまいます。
つまみ Post author
プリ子さん、おはよーございます。
自分の中にも、身内びいきとか、地元意識とか、ニッポン頑張れ、という気持ちは歴然とあります。
そして、オリンピックの舞台に立つまでの情報の多い選手に思い入れを持つのは当然だし、そういう気持ちを否定するつもりは全くないのですが、今自分は「もろもろの遮眼帯を装着している」という意識だけは持っていたいというか、ニッポン選手の動向だけに一喜一憂しているのは、応援という名を借りた他者排斥なんじゃないかと思ったりするわけなのですよねえ。
ああ、何を言ってるんだかわかりづらくてスミマセン。