Posted on by プリ子
バラのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ。
『あのときの王子くん』 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ作 大久保ゆう訳
『星の王子さま』のタイトルで知られるお話。
子どものころは全く理解できませんでした。
子ども向けファンタジーのように見えて、全然そうではなかった。
大人になってはじめてその含意がわかったような気がします。
王子さまが育てていた気難しいバラは、
俗っぽいことを言ってしまえば、サン=テグジュペリの妻の比喩なんですね。
愛想をつかしてバラを置いてきてしまった王子さま。
たくさんのバラが咲いている園で、ほかにもきれいなバラがあるんだと驚き、がっかりします。
自分のバラが特別なバラではなかったと。
でも、出会ったキツネが言うのです。
きみのバラは、きみだけと過ごしてきた時間があるから特別なバラなんだよ。
交通事故にあったところを偶然ひろって助けた、今や巨体のオッサン猫も。
ダメダメな夫も。
私が応援している、トップスターというわけではない、いぶし銀系のタカラジェンヌも。
私にとっては、ある時間を一緒に過ごした特別な存在なんだなあ。
(最後のはかなり一方的ですが^^;)
ちなみに、この訳は青空文庫に掲載されている訳から引用しました。
タイトルを有名な内藤濯訳の『星の王子さま』ではなく、
『あのときの王子くん』としたことについての訳者の言葉がまた素晴らしい。
「語り手が、その少年と出会った時が過去に存在し、そのために “le” をつける。
フランス語の話者には、その冠詞が当然のことであっても、日本語の話者にとっては違います。
もし〈星の王子さま〉と訳したとき、その含意は、すっかり抜け落ちてしまうことになります。
語り手にとって、〈星の王子さま〉だから大切なのでなく、6年前のサハラ砂漠に下りたとき、
〈あのとき〉に出会って一緒に過ごしたからこそ、少年はかけがえのない存在なのです。」
くるりん
この物語、私の一番好きな作品です。
何度読んでも、いえ色んな経験を重ねながら繰り返し読むたび、胸にすとんと落ちたり染み入ったりし
ます。
日々に追われて考えないようにしていること、でも本当はとても大切なこと。
キツネのように、相手に届くようになってから言葉で伝える…そんな風に時間をかけて向き合うこと。
関係を結ぶということ。
タイトル、私も”星の”と訳すのはキャッチーではあるけれど何かが足りない気がしていました。
小さな王子さま、と勝手に読んでいました…でも、王子さまと過ごした短い日々の話なのだから、この訳者さんのおっしゃることもわかる気がします。
同じように感じたり、心を動かされたりしているひとがいるのかも。
そう思うだけで、もうちょっと頑張ろうと思えます。
プリ子 Post author
くるりんさん、コメントありがとうございます!
くるりんさんとこのお話の間にも、特別な絆があるんですね。
私は、良さがわかったのが最近なので、まだまだこれから読み解いていきたいです。
キツネがだんだんと仲良くなっていく様子も素敵ですよね。
原題は「Le Petit Prince」でしたっけ。「小さな」というのも愛情のある表現だと今気づきました。
サヴァラン
Le Petit Prince
学生時代、憲法の授業の隣の席の上級生(男性)が、
授業中に“Le Petit Prince”を原書で読んでいたんです。
色白で甘いマスク、長い指でページをめくる姿がかなり美しくて。
そのひとが言ってました。
“Le Petit Prince”を「星の王子様」とするのは出版社の意向かもと。
あるとき
「ぼく来週から一か月教育実習なんで
その間のノートをコピーさせてもらえない?」と頼まれました。
お貸ししましたしたよ。もちろん喜んで。
「試験が終わったらお茶でもしよう」とにっこりほほ笑んだまま
試験後はぷっつりと授業に現れず。
おーい。憲法の授業のLe Petit Prince~。
小惑星に帰っちゃたのか?お茶はまだか?待ってるぞ~。
プリ子 Post author
サヴァランさん、遅くなりました、コメントありがとうございました!
やだ、憲法の授業の“Le Petit Prince”、どこに行っちゃったんでしょう。
原書で「星の王子様」を読みながら、軽~くお茶に誘うあたりが、ざわざわします。そういうタイプ、嫌いじゃないです(笑)。
長い時間を一緒にいたわけじゃなくても、ほんの一瞬でも、忘れられない人っていますね。