おしゃれはなぜ、するのですか。しないといけないものなのでしょうか。(50歳)
おしゃれとは「愛する」こと。
自分を、他者を、五感を使って慈しんだとき、
そこに美と詩情が生まれる ~
光野桃
おしゃれは、しなくてはいけないものではありません。
おしゃれにまったく興味がなくても立派な生き方をしているひとや、
幸せに満たされているひとは、いくらでもいるでしょう。
けれど、おしゃれにしかできないことも確かにあります。
それは、美というものを使ってコミュニケーションする、ということです。
着ることというのは、
ひとが生きていくうえで欠かせない五感の美意識と直結しています。
色彩、形、触覚、ひそやかな衣擦れの音を聞く聴覚
――― そういう感覚で丸ごと身体とかかわっている、官能的なものなのです。
着ることは実用的な意味合いだけでも成立しますが、
そこに、愛し慈しむ という感情が加わると「おしゃれ」になります。
こうして「着ること」から進化した「おしゃれ」は、
自分と他者とのかかわりを形づくっていきます。
他者に対して見えない手を伸ばし、五感をもって話しかけようとするのです。
美しい色で目を楽しませ、滑らかな手触りで心地よさを呼び起こし、
相手へのさまざまな思いを静かに語りながら、
自らのこともまた、語り始める。。。
おしゃれが取り持つコミュニケーションは、言葉ではない言葉。
それだけに真実が語られる、とわたしは思います。
自分を無条件で愛し、美しいと思えたとき、おしゃれは幸福なオーラをまといます。
それはかぎりなく美しいものとなり、そこに詩情が生まれます。
詩情とは、魂の五線譜を震わせる、唯一無二の、耳には聞こえない旋律のようなもの。
文化芸術から市井の人々の日常まで、あらゆるすぐれた美しいものには詩情があり、
それのないものにはどんなに立派に見えても感動とは無縁です。
おしゃれに宿る詩情はささやかなものかもしれませんが、
少し心を配って耳を澄ませば誰にでも感じられるもの。
ある日、首元にふわりと巻いた淡いブルーのストールにも、風をはらんで揺れるブラウスの背中にも、
詩情は宿るのだと思います。
自分自身と、自分をとりまくあらゆるものに対し、愛を持って日々を丁寧に歩むこと
――― それが美意識のある生き方。
そのとき、おしゃれは
わたしたちを感動で満たす一篇の詩となって、人生をうたうのです。
( 光野桃「おしゃれの幸福論」より~ )
凜
こんにちは。こちらと重複すると思うのですが、
谷村志穂著「Power Woman 愛と自立のスケジュール」
にとても印象に残り、おおいに膝を打つ文章があります。
「お洒落とは自分に会いに来てくれる、もしくは自分と人生の日々のどこかを共有してくれる人のためにするものだ、という前提があると思うのです。出来うる限り綺麗でいようとすることは、出来うる限り人と気持ちよく過ごそうという気持ちの表れだと思うのです。見かけが華やかな人は、往々にして心も華やかです。なぜなら、いつも相手を楽しませようとしているからです。しかも、見かけのことで言うと、それは自分ひとりで出来る最もシンプルな努力なのです。」
これを読んで以来、常に、相手がたとえ3歳児であっても綺麗だと少しでも思ってもらえるようにしようと心がけるようになりました。
サヴァラン Post author
凛さま。
コメントありがとうございます。
わたしは、横田めぐみさんのふたごの弟さんが
子ども時代のお母さま(つまり横田早紀江さん)との思い出を
「母は、いつもよい香りがしました」と語っていらっしゃったことが
とても印象に残っています。
「母は、いつもよい香りがしました」。。。
こうつぶやくと、横田早紀江さんという方の人間像が、
馥郁と立ち上ってくるような気がするのです。。。
「出来うる限り綺麗でいようとすることは、
出来うる限り人と気持ちよく過ごそうという気持ちの表れ」
ああ、わたしもそうありたいと思います。。。
あかね
都内での生活を止め、地方に住んでいます。
環境の変化もあり、忙しい時、「誰も見ていないから」と手を抜きまくっていたことを思い出しました。
今は心が上向きの時(余裕があるとき)はお洒落をしようと考えるものの、それ以外のときはあまり考えずに生活している気がします。
凛さんのお書きになった「自分ひとりで出来る最もシンプルな努力」、心に書き留めておこうと思います。
サヴァラン Post author
あかねさま
コメントありがとうございます。
環境の変化、こころの向き…
わたしたちはさまざまな「他者」と向き合っているなあと思います。
「おしゃれ」は「しなければならない」ものでも
する「理由」のあるものでもなく
ただ「自他」との交換の中に、素直にあればいいのかも、、、と思ったりします。
「自分ひとりで出来るシンプルな」楽しみ
わたしもご一緒したいです。
あずみ
しみじみと読ませていただきました。
タイトルの通りの気持ちでいたから余計に刺さりました。
わたし、おしゃれに関して、ものすごく疎いんです。
そして、年々、物が限定されていくっていうんでしょうか、そういう事態に陥っています。
どういうことかというと、
「マックでハンバーガー食べるぞ」→ まよわずダブルチーズバーガー
「スニーカー買うぞ」 → 迷わずコンバースのいつもの。サイズも確認する必要なし
ということが繰り返されるのです。食べ物はまだ気軽にチャレンジするのですが、
こと服となると、尻込みしてしまって。
おしゃれをしたいって気持ち、どうやったら持続できますか。
願望としては、おしゃれでありたいんです。しゅっと見られたいんです。
しかーし! 優先順位が落ちてしまう…
どしたらいいですかー
(すみません、コメント欄で愚痴ってしまって)
サヴァラン Post author
あずみさま コメントありがとうございます。
「おしゃれ」って、英語ではどういうのかな?と調べてみました。
in fashion
fashionable
stylish
sophisticated
はじめのふたつは
「ファッション=流行」にのっているという意味での「おしゃれ」
あとのふたつは、
「スタイルがある」「洗練されている」という意味での「おしゃれ」
あずみさま!
「迷わずチーズバーガー」
「迷わずコンバース」って、
スタイルがあって、洗練されてらっしゃるということでは?
「お洒落」の語源もついでにみてみると
「晒れる」、「戯れる」、がその語源で、
「機転が利く、気が利く」、というところから
「垢抜けしている」→服装や身なりに気を配ること、美しく装うこと
と意味が派生していったようです。
「迷わずチーズバーガー」
「迷わずコンバース」とおっしゃるあずみさんは
この語源の中にもいらっしゃる。
あずみさんはやはり、おしゃれだ!とわたしは思います。
流行方面にくいつくか
Style方面にくいつくか
おしゃれのアプローチはひとぞれぞれ
そう考えると
「おしゃれ」は自由だな~と
「おしゃれは自由」といえば
部長は今週、こんなことを書かれていました。
http://dosuru40.com/bessatsu/36569/
なんかね、
今の時代、「おしゃれでなければ!」「おしゃれしなければ!」っていう
ちょ~っとおかしな強迫観念があるんじゃないかな~と思うんです。。。
でも!
自分の暮らしのスタイルやひととの交わりを愛していれば
そこにはちゃ~んと「おしゃれ」があるぞ======と
すみません、わたしの主張を叫んでしまって^^