介護の言葉 その1
こんにちは、ミカスです。
母の介護が始まって早5年(かな?)
はじめは母をどう介護するかということばかりを考えて必死な毎日でしたが、
最近、自分自身をどうやってケアしたものかと戸惑うことが増えてきました。
介護される人のための情報はあっても、介護する人自身を助ける・守るための情報や言葉は驚くほど少ないのが現状です。
だったら自分で探してみようじゃないか、しかも身近なところで!と思い立ち、
同じく介護をされている月亭つまみさんと共に、このオバフォーの中を改めてほじくってみました。
私たち”つまみか”がオバフォーの中から見つけた「介護の言葉」と、それについて繰り広げた
他愛のないお喋りにお付き合いいただければ幸いです。
あ、ここにはゾロメも料理もございません。あしからず。
「黒い感情に黒く寄り添う」
(つまみさんとの雑談の中から。ミカスの言葉)
さて、『介護の言葉』最初に取り上げたのはこの言葉。
これ、実はオバフォーに登場したものじゃないのだけど、ある意味、
この「介護の言葉」のきっかけになった言葉と言ってもいいかも。
って、私の言葉なんだけど(笑)
介護ってきれいごとでは絶対に済まないから、介護を経験している人、特に今真っただ中にいる人って、自分では御し難いどす黒い感情を必死でコントロールしてると思うのね。
私はそれがよくわかるから、きれいな言葉で励ましたりはしたくないんだなぁ。
「私もほら、こんなに真っ黒だよ。だからちょっと安心してよ」って腹を割って見せたい感じ。で、一緒に怒って、一緒に泣いて、一緒に毒舌吐いて、さぁ、もうちょっと行きますか、って。美しい励ましの言葉って、悪気はないのは分かっていても、時に鋭い刃にもなり得るしね。黒いものにはあくまでも黒く寄り添いたいの。
うん、わかるよわかる。
よほど腹を割った相手じゃないと、介護のどす黒い感情って吐露できない。
それって、信用してないからとか、プライドとはちょっと違う。
なまなかな相手の前でいったんタガを外したら、もう制御できないんじゃないか、戻って来られないんじゃないか、に近い気がします。
かといって、その感情を溜め込めば、悪臭を放って、とんでもないところに自分を追い込みそうで、それがミカスさんの言う「必死でコントロール」だと思うの。
そうそう。
コントロールしないと、自己嫌悪と罪悪感を片栗粉でドロドロにしたものに絡めとられちゃいそう。
あらためて「よほど腹を割った相手じゃないと」となぜ思うのか、もう一回考えてみた。
あたりまえの励ましやなだめの言葉、聞きたくないんだよね。ついうっかり口にした「黒い自分」を恥じるより、その言葉でよけいに傷つく自分が怖いのです。そう、正しいことを言われたくない。
もうさ、介護に関する一般論なんて、こっちの方があんたより百倍は考えてる、その挙句の黒さなんだよ、みたいな。
そうなんだよね。
人の言葉も、本に書いてある介護の心得みたいなものも、そんなことさんざん言われてるわ、
だけどリアル介護じゃそんなもの通用しないってこっちは身をもって知ってるんだよ、ってね。
あとね、どんなに黒いことを言っても、自分は投げないで今日この瞬間までやってるんだ、という自負というか矜持もある、いやらしいけど。だから、妙にわかった顔でたしなめられたりすると、誰に言ってんだよ!と思う気持ちもあるわけで、二律背反でやっかい。なので、そういうあれこれを知っている同業者(!)と分かち合いたいってある。
屈折し過ぎでしょうか。
「誰に言ってんだよ!」って、このお方をどなたと心得る?!みたいね(笑)
私の友達がお兄さんの介護をしてるんだけど、「私、兄に対して情はないんだよね」って言うの。
色々と家庭の事情があってね、情がないというのもわからなくはない。
多くの人は「そんなことないよ。ちゃんと介護してるってことは情があるんだよ」って慰めるのかもしれないけど、私は言えない。だって、本人が「ない」って言ってるってことは「ない」んだもん。
私はそこを認めてあげたいの。彼女の黒さを漂白しようとは思わない。
黒いままを受け止めてあげたいのね。
でもね、そういう感覚って介護を経験した人じゃないとわからないかもしれないな。
だから、同業者と分かち合いたいっていうつまみさんの気持ちはよくわかる。屈折なんてしてないよ。
黒い、と色を特定するのは、介護における感情の白さやグレーも知ってるから、なんだよね。日々刻々と色を変える自分をやることが介護だと思い知らされてる人…それを理解している人、と話したいというのがあります。
うんうん。話したいです。
その黒い感情を、いや、白もグレーも全部、否定も非難も美化もせずに話し合えたらちょっとは楽になれたりするのかもしれないなぁ。
というわけで「介護の言葉」第一弾、いかがだったでしょうか?
こんな感じで、つまみかコンビのお喋りはもうしばらく続きますのでお付き合いください。
そして、そこそこ喋ったのに「まだまだ喋り足りない」といきり立ったこの二人、
せっかくだからみんなで話そうよ!と介護ミーティング(仮)の開催を思い立ってしまいました。
介護される人ではなく、介護する人のケアを目的にしたトークミーティングです。
7月末に東京で開催します。
介護真っ只中の方、「そんな時間無いよ」などと言わず、なんとかご自分のために休憩をとってぜひご参加ください。何かが変わる…かもしれません。
介護経験のある方、あなたのあの時の気持ちを振り返ってみませんか?
「介護経験の無い私に参加資格はないかな?」とお考えのあなた、“介護する人”の本音を覗いてみませんか?
つまみかコンビの他に、このサイトのメンバーからは、カリーナさん、Cometさんも参加の予定です。
詳細は7月頭にお知らせいたします。
ぜひご参加ください。
眼鏡A
つい最近まで同業者でした。
そう遠くないうちに再開業することになるでしょう。
7月、参加したいです。
ミカス Post author
眼鏡Aさん
まずはつい最近までの介護、お疲れ様でした。
7月、ぜひいらしてください。
同業者同士、お話ししましょう。
きゃらめる
まだ上がり框に足をかけた程度ですが
すでに真っ黒黒助どろんどろんです…
つまみ
きゃらめるさん、上がり框あたりは真っ黒黒助の巣窟!?
千と千尋…のイメージで言ってますが、その流れで、黒々、どろんどろんしつつ、一緒に心の釜爺を見つけましょうぞ。
シロマネ
朝刊のシニアの記事からこちらにたどり着きました。10年近く、大嫌いな義母の世話をしています。
最初の10年間泣きながら義父母と同居していましたが我慢できなくなり別居、その後10年経たないうちに、義母が要支援状態になり引き戻されました。
初期の頃、ちょうど私の子供の受験期と重なり、当時のことを思うと今でも吐き気がするほど辛かったです。痩せて相当窶れたので友達に心配されました。
夫は、兄2人、妹、の4人兄弟ですが、皆 、親の長寿を無責任に願っています。「お母さん元気ですか 」「熱中症に気をつけて水分と栄養採って下さい」「リハビリ頑張って歩けるようになるといいね」と、口で言うのは簡単で、義母もその言葉に涙ぐんでいます。私はその言葉を聞く度に、生気を失うような気分です。みんなの願いは私の犠牲の上に成り立ってるのに。
私だって、離れている親にならいつまでもお元気で‥と思います。
主人は、嫌なら世話しなきゃいい、妹にやらせればいいと言いますが、10年間頑張ってきたのに今さら投げ出したくないとか、世間体とか、弱い立場の者に冷たい態度をとりたくないとか‥感情と矛盾しているのですが、逃げることの方が今後のストレスになります。
だから、解決策を求めているのではないです。そんな中、この記事を見つけ余所様の話に共感し、安心して、すっきりしています。
ミカス Post author
シロマネさん
コメントありがとうございます。
最初の同居から今の介護生活まで、本当にお疲れ様です。
心身ともに大変な毎日であろうとお察しします。
解決策を求めているわけではないけれど誰かに話したいという気持ち、痛いほどわかります。
感情との矛盾は、介護をしている人なら多かれ少なかれあることだと思います。
そして、多くの人がその矛盾に苦しみます。
きれいなことを言うだけで、実際に手を貸すことのない義兄・妹さんたちに対する苛立ち。
その一方で、今、他の人に介護を委ねたら「投げ出した」と思われるのではないかとか、
介護なんて本当はしたくないけれど、止めてしまったら弱い人に冷たくするようで嫌だとか。
介護する人間の心は、時として矛盾と罪悪感と自己嫌悪と怒りが渦巻きます。
それ自体は悪いことではないと私は思います。いや、当たり前のことです。
ただ、その感情に飲み込まれてしまったり押しつぶされてしまわないように、
時々吐き出すことをしてくださいね。
シロマネさんが黒い気持ちを吐き出してもどんと受け止めてくれる方を見つけて、
デトックスしてください。
もちろん、ここにコメントをしていたたいてもいいですし、
もし状況が許すようでしたら「在宅デトックス」にもご参加ください。
http://dosuru40.com/kaigo-detox/
お体にはくれぐれも気を付けてお過ごしくださいね。