介護の言葉 その3
「高齢になって世話をしてもらうにも、上手にゆだねられるって重要なことだと思う。からだも心も」
(『SEX and the AGE』より。あきらさんの言葉)
今回は、介護される側の気持ちについてなんですけど、介護って、介護される側もする側も、お互いの心身の接点や距離を臨機応変に変える必要性がいたるところに出てきますね。
確かに。介護されるってことは誰かに心身をゆだねることですよね。でも、それってなかなかどうして難しいと思う。性差もあるのかな。わたしは同性を介護してるわけですけど、つまみさんは、お義父さん、お義母さんと、両性の経験者。違い、あります?
もちろん、それぞれだし、年齢にもよるけど、わたしはあまり感じないなあ。っていうか、義父は高齢になってからの視覚障害だったので、家族やリハビリの担当者に自分をゆだねるしかないという意味では、本人に選択肢がなかった分、足腰以外は基本元気で、でも現状を把握できてないこともある義母より、こっちのペースでやれたかもしれない。
そうか。前回の「現実が上書きされていない」につながりますね。セルフイメージが元気なままだとゆだねる理由すら見出せないわけで。
そうなんだよねえ。わたしたちがもし「さあ、今からこの人に自分をゆだねて生活しましょう」と言われたって、んな必要ねーよ、と思うのと変わらないのかもねえ。
ミカスさんはおかあさんに対して、そのへんはどう?
抵抗されます。それで「どうして?!」って苛立つことが多々あるのですが、ゆだねるってことを考えるとその抵抗もちょっと理解できるよなぁ。
自分をゆだねるって、相手が、勝手知ったる(と思っている)家族、そして、たとえその道のプロであってもやっぱり怖い部分がありますよね。
母は、記憶をリセットされてしまう状況でもあるから、頻繁にその恐怖感があって、心身がいっそうこわばるかもしれない。
緊張してると注射って、より痛いもんね。ミカスさんのおかあさんは他者が思うより痛い注射の日常なのかも。
とはいえ、それで介護する気持ちが楽になるわけでも、相手の抵抗をすんなり受け入れられるようになるわけではないんだけど。
そうだよねえ。介護する側、される側、双方の気持ちがたとえ理解し合えたとしても、それで手打ちにはなんない。
落としどころを見つけることが介護じゃないから。
接触には摩擦や抵抗がつきものだって大昔、物理で習ったけど、それは人と人も例外じゃないんだねえ…あれ?なんかわたし、キレイに締めようとしてる?
してるかも。そうはさせない(笑)。
摩擦や抵抗の存在はしょうがない。でも、それで摩耗してすり切れたり、最悪、発火するような事態は回避したいし、それを一方が必死に押さえ込む日常は本当にしんどい。
介護を頭で論じようとする人に言いたいです。
だいたい私は物理が大っ嫌いなんだ! 物理学を超える介護論なら聞いてやると。
よく言った!
7月に都内でトークミーテイングを開催します。
介護される人のための情報はたくさんあるのに、介護する人を助けるための情報はほとんど無いというのが現状です。
介護する人がデトックスできる場を作りたい。私たちはそう考えました。
この『介護の言葉』であれこれと語り合っている月亭つまみさん、私ミカスの他に、Cometさん、カリーナさんも参加します。
介護真っ只中の方、介護経験者の方、介護未経験の方、ぜひご参加ください。
皆さんの気持ちもたくさん聞かせてください。
介護の話だけではなく、実は美味しいものも食べられるらしい。
会場も決まって、準備は着々と進んでいます。
詳細は後日改めてお知らせしますので、もうしばらくお待ちください。