オシャレは、少し傷つくこと?だから、装うことは美しい。
先日、電車で若い女性二人連れを見ました。「もう少しオシャレしたら、可愛くなるのになあ」「ちょっと残念だなあ。人生でいまが一番キレイかもしれないのに、もったいないなあ」と思いました。
それから少し考えて、わたしが残念に思ったのは、本当はそこじゃない。「キレイになるチャンスを逃している」ことじゃないと思ったんです。
いや、「オシャレをしたら、キレイになる」というのは、実際そうである場合が多いんでしょうけど、でも常にうまくいくとは限りません。自分の好みのものを選んだら、どうも、評判がよくないって場合もある。
「どうしたの?その髪型(プッ)」とか、「うわ、イメージチェンジ!?」とか、「若作りしすぎじゃないかい?」とか、「雰囲気変わってびっくりした!」なんて大げさに言われて凹むことだってあるかもしれません。
でも、そんな反応を受けたほうがいいんじゃないか。「似合っているよ」も「似合っていないよ」もどっちもありなんじゃないか。毎回、「似合ってない!」でもいいのではないか。服装に自分の「今」を表して、その「表現」に賞賛や賛同や無関心や否定を受ける。そのこともそのものが今を生きるってことじゃないかと思ったんです。
オシャレをすることは、「少し傷つくこと」なんじゃないかな。
思ったように素敵になっていない。
思ったように他人にホメられない。
思ったように、あの人に振り向いてもらえない。
それでも、自分の「今」を
顔を上げて表現しつづける、というか。
若いふたりの女性たちを見て残念に感じたのは、自分自身の人生の矢面に立つことを避けているように見えたからでした。
大きなお世話ですけどね。
でも、矢面に立って傷をいっぱい受けて、やわらかくも傲岸不遜に
かけがえのない若い時代を生きてほしいと思うのです。
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まさしく上の記事に書いたように「この人のオシャレ、いいね!」「この人、ダメだね!」もどっちもありのテーマでしたね(笑)
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サヴァラン
うちの近所には大学があるので、いつも女子大生をたくさん見ます。
道でも。スーパーでも。
女子大生って、見ていてひりひりします。
矢面に立っているひとも。立っていないひとも。
オシャレののるかそるか。
若い女の子ののるかそるか。
恋せよ乙女♪
自分にも他人にも。