人間関係で「ちょっとミスる」ことはいくらでもある。自然治癒を待つのが一番。
こんにちは、カリーナです。
わたしも母を昨年亡くしましたが、友人や知り合いも何人か親御さんが亡くなりました。そういう年になったんですね。その友人は、昨年の夏、おかあさんを亡くしたのですが、そのまた友人(わたしは知らない)も、それからしばらくしておかあさんが亡くなったそうです。
わたしが知っているほうの友人(以後Aさん)は、「香典を送るべきか」と悩みました。自分のおかあさんが亡くなったときに友人の友人(以後Bさん)は、香典を送ってこなかった。でも、それはBさんが冷たいからでも礼儀知らずだからでもなく葬儀のほかに介護や仕事で大変だからだと理解していました。というのもAさんのお父さんが数年前に亡くなったときにBさんはお香典と丁寧な手紙を送ってくれたからです。そしていま、ちょっと余裕がないことも常日ごろ、相談を受けて知っていたからです。
Aさんは、これまでのことを振り返り、「やっぱり香典を送ろう!」と決め、手紙とともに送りました。すると、「わたしは送ってないのに…受け取れません」という冷ややかなメールが届いたそうです。
Aさんは、「どうすればよかった?わたしが間違ってた?やっぱり、送るべきじゃなかった?」と気にしていました。
「気にしなくていいよ。伝わってるよ、気持ちは」と言いました。Aさんが、「あなたは香典を送ってこなかったけれど、わたしはこんなふうにちゃんと送りますよ!あなたもそうすべきでしたね!」というあてつけの気持ちを込めて送ったわけでないことは、日ごろのつきあいや手紙の文面で伝わっているだろうからです。
でも、そういった「好意」や「配慮」も含めていまのBさんにはわずらわしく負担だったのかもしれません。まあ、Aさんは、「ちょっとミスった」のでしょうが、「ミスった」程度のことと思って、反省しすぎるでなく、相手を恨むでなく、自分のなかで感情を発酵させすぎず、時の経過をみるのが一番、いいと思います。
「ちょっとミスる」ことは人間関係には、いくらもあります。わたしなんか、毎日、何度もミスってます。そのことを挽回しようとしていたずらに謝罪を重ねたり、忘れてしまいたいがためにありとあらゆる人に相談して「気休めの言葉」だけを集めたりしがちですが、そんなことはせず、心のすり傷にバンドエイドを貼ってじっとしているのが一番だと思うようになりました。
自然治癒の過程で自問自答した反省は、無駄に集めた気休めの言葉の何倍も後々自分を支えてくれます。ミスった相手とは、お互いが落ち着いたとき、誤解を解けることもあるし、解けなくても、まあ、いいじゃないですか。それぞれにそれぞれの事情と、それぞれの時間があるんだもの。
「相手を嫌いにならず、どちらかというと好きなままとどめる」がいいなあと思います。
カレー記念日、今日も秀作です。思いついたら、投稿してくださいねー。
youko
深いですね。深い…本当にそう思います。
初めて投稿します。時々拝見しています。
(しょっちゅう見ると目が疲れるので…(^^;
実に興味深い内容ばかりで、時に心の支えにさせて頂いております。
年齢を重ねた時のミスるって、結構ダメージ大きいですよね。
気にしない気にしない!
これからも楽しみにしています。
お身体に気をつけて末永く頑張ってください。
カリーナ Post author
youkoさん
心の支えにしていただいているなんてありがとうございます。
光栄です。
気にしない…大事ですねえ。年とともにそう思います。
また、コメントくださいませ。お待ちしています。