自分の不運に耽溺せず冷静に。楽しみを手放さずにいたい。
20代後半のころ、ジャーナリスト・千葉敦子さんの「よく死ぬことは、よく生きることだ」や「死への準備日記」などの闘病記を夢中になって読みました。ガンが再発し、刻々と弱っていくからだを抱えながらニューヨークに単身転居。意志力と創意工夫でギリギリまで自立した暮らしを続ける姿を描く簡潔な文章を何度も何度も繰り返し読んだのを覚えています。それからかなり経って読んだ奥山貴宏さんの「ガン漂流」シリーズも忘れられません。
なぜ、あれほど一生懸命に読んだのか。
「病」という現実がその人に突きつけるであろう(わたしなら必ずそうなるであろう)予測可能な精神状態に陥らない、もしくは陥ってもすみやかに立ち直る。心の動きの驚異的な「エンターテインメント性」が読み物としてスリリングだった面もあったんだろうと思います。
しかし、何より、文章のなかに常に存在した「自分の状況を特別視しない冷静さ」と「前向きの明るさ」が魅力的でした。光っていた。
「強さ」とは、心が動かないことじゃない。そうではなくて一見関係のないように見える「冷静さ」を経て手に入るものなのなのだ。「明るさ」とは、境遇や状態に左右されるものでなく、その人の「姿勢や手つき」によって生まれるものだ。まだ若いわたしはそれらを学び、読後、時間が経ってもなお「こうなりたい」と願う憧れの土台になっています。
わたし自身の境遇は、自らの病と闘う人に比べるとまったく大したことありませんが、それでも、昨年はいろいろあったため、「今年はいいことあるよ」「いつかきっといいことある」と励ましてもらうこともあります。ありがたいことです。
でも、本人は、さほど「いいこと」を期待しておらず、というか、何が「いいこと」なのか具体的に思い描けず、「今の延長線上でなんとかやっていければいいや」ぐらいに考えているのです。
ただ、こうやってブログやオバフォーに文章を書くときは、そこからかすかでも「前向きな明るさ」を感じてもらえるように書きたい。千葉さんや奥山さんには才能も状況の深刻さもはるかに及ばないけれど、でも、彼らが全身で教えてくれたように冷静かつ前向きでありたい。
人と人のやりとりには、どこか「明るさ」が必要なのだと思います。可能な範囲で「明るく」「前向き」に。それは、自分を特別視せず、冷静に見つめることでなんとか手に入る光なのかもしれませんね。自らの不幸や不運に耽溺しすぎず、楽しみを忘れないことも大事だなあと思います。
この文章は公開の前日(日曜)に書いています。夕方、犬の散歩が終わったら30代の姪ふたりが泊りに来て焼肉パーティー。高級な肉と普通の値段の肉を買い、姑息な節約もはかってやりました。間違いなく、ばれるでしょうけど、機嫌よく食べまくってやりましょう。
先週土曜日に公開された「おしゃれ会議室」、読みました?肩こりさんにはぜひ読んでいただきたい内容です。「カレー記念日 今週のおかわり」は、投稿時のコメントも紹介されていて、それがまたおかしいです。まだの方はぜひお読みください。投稿もお待ちしています。そして今日は、プリ子さんの「日々是LOVE古着」が更新されています。古着で結婚式ですって!「いどばた。」もおしゃべりに来てくださいねー。
Jane
私も千葉さんの本を一時夢中になって読みました。千葉さんが美味しいものを食べていたということだけしか覚えていませんが。おいしいものを食べることは、カリーナさんのいう、可能な限り手に入る幸せその1ですね。
人と人のやりとりには、どこか「明るさ」が必要だということ、心したいと思います。未来への希望的観測、という人を照らす光が年とともに薄れてくるにつれ、洋服の色と同じで、自分の本当の心持より少し明るく、相手が褒めたり励ましたりできるようにユーモアを足すのがマナーかな、と。さんざん正直に暗さぶちまけて失敗してきて、最近やっとわかってきました。
okosama
私もカリーナさんを見習って、楽しみを忘れないようにしよう。p(^-^)q
まずは、高級なお肉ですね!