できるだけ雑多に、できるだけ一貫性なく。それが、ウェブマガジンの道かなと。
わたしは、数年、ブログを続けていますが、そこには書いていないことがたーくさんあります。あんまり人に見せたくないところ、どうも自信のないところ、かっこ悪いところ、もしかしたら時代遅れかもしれないところ・・・など、もう、数えあげたらキリがありません。でも、同時に、そういうところもきっと見えているんだろうなあ。仕方ないなあとも思っています。
テレビや雑誌を読んでいると、「何かにたどりついた人」「何か、結論が出せて自信をもって生きるようになった人」「好きなものが決まって、もう、迷わなくなった人」などが登場しますが、いったい、どうしたら、そんな境地にたどり着けるのか見当もつきません。わたしにできるようになったことは、自分に自信がないからといって過度に落ち込まないようになったことぐらい。自分の欲と能力と習癖との折り合いのつけ方を学び、それでも「生きるのは楽しい」と思えるようになったことぐらいです。
他の人のブログを見ていると、コメント欄に「〇〇さんの服装も素敵ですが、その後ろに見えるお部屋の雰囲気が本当に好きです・・・」なんて書いてあることがあります。ときには、「写真の左に写りこんでいるテーブルは、どこのものですか」なんて質問が入っているときもありますね。いかにわたしたちが、「写真に写りこんでいるものの細部」に関心があるかが、こういうコメントからもわかるなあと思います。
わたしのブログも含めて、どんな個人ブログも、「見せているものと見えてしまうもの」「こんな人だと思ってほしい自分と、にじみ出てしまう自分」という、相反する要素がせめぎ合ってカタチになっているんじゃないでしょうか。そのことに自覚的なほうが良いような気もするし、無自覚なほうが面白い気もします。
読者は、みんな、「言葉の裏」「写真の外側」「書かれていないこと」などを無意識に計算に入れながら読んでいる。そして、好きになったり、嫌いになったり、共感したり、反発したりする。人間の多面性なんて、かつては小説や映画なかでしか見られないものでしたが、今じゃ、インターネットにアクセスすればいくらでも見られる。人間って面白い。いいヤツそうな人も、ちょっとイヤな感じの人も、ものすごくイヤな感じの人もいて。一筋縄でいきそうな人間なんて、どこにもいないです。
ブログの副作用かもしれませんが、どうも、わたしは、最近、「見せたいものと見えてしまうものが、せめぎあっているもの」でないと、つまんないと感じるようになってしまったようです。
先日、2年ほど前の「小さなこだわりのある暮らし」系雑誌を読みかえしたのですが、何もせめぎあっていないことに何と退屈してしまったのです。すべてが「こだわり」と「丁寧」に純化されていることが息苦しい。それこそが完成度が高い証拠なのだとは思いますが、でも何だろう。この物足りなさは。「見せたいものだけで成り立つ世界」には、「24時間、丁寧な暮らしをしていそうな人」だけが住んでいて、そして、これまた、独得のやさしい「ですます調」の文章が、読者より先に感銘を受け、結論まで出してくれる。「〇〇さんの暮らしに、幸せのかたちを見つけました」とか。
「別冊」はウェブマガジンという言い方をしているので「ネット上の雑誌」ということになりますが、ここのところは、決してマネしちゃいかんと思っています。ネットである意味がなくなっちゃうんじゃないかと。素人の意味もなくなっちゃうんじゃないかと。
できるだけ、
・いろいろ雑多なものをできるだけ写り込ませたい。
・人に一貫性を求めないようにしてみたい。
・「優しいそぶりの文章」で感動を先取りするのは、できるだけ、やめるようにしたい。
希望表現によってあちこちに逃げ場を作っていますが(笑)
そんなふうに考えていると宣言して
少しでも逃げ場をふさいでおきます。
今日は、こちらも更新されています。いい味出てますよー。⇒★
カリーナの過去の記事はこちらです→★
アメちゃん
おはようございます!
あ〜、なんかよくわかります。
私もその手の雑誌の
「24時間、丁寧な暮らしをしていそうな人」が
「使い込むと出てくる風合いが好きで、ファブリックは全てリネンです。」
なーんていうコメント読むと、あ〜あ。。と思います。
なんていうか、つっこむスキのない「オシャレ」とか「丁寧」とか
そういうモノを持ってる人に見られるのって、ちょっと恥ずかしいと思うんですよね。
それを恥ずかしい素振りもなく、素敵さを全面に見せられると息苦しいし
「ツッコミたい!」と思ってしまいます。
まあ、「オシャレじゃないから使いたくないー」と思ってるのに
田舎の父から送られてくる、セインカミュのCMのふきんを
しかたなく使っている私のねたみですね(–;)。
Tomi*
「見せたいものだけで成り立つ世界」には、「24時間、丁寧な暮らしをしていそうな人」だけが住んでいて・・・
ナチュラル系の雑誌ってこういうの多くないですか?
アメちゃんと同じく「あ〜〜あ (〃´o`)=3 」ってなります。
自分がそうなれてないからなんだろうけど…
出かける時はピシッと決める私でも、家にいる時は人様に見せられない格好をしてるし(赤い口紅もつけてません)
愛猫の写真を撮ろうと思っても、背景に映り込むものがアタタタだし
完璧な暮らしなんてできね〜よ!って開き直ってる。
「自分に自信がないからといって過度に落ち込まないようになったことぐらい。自分の欲と能力と習癖との折り合いのつけ方を学び、それでも「生きるのは楽しい」と思えるようになったことぐらいです。」
いいなぁ〜〜〜これ(*^o^*)
みきみき
どうしようかと思いましたがやっぱり書かせてちょ~~です^^
アメちゃん、Tomi*さんのコメントでホッとしました
人間て二クセ、三クセあって当たり前ですよね
やっぱり、ブラックあってこそ~
(ありすぎるのも困りますが…^^;)
心の言葉をこんな風に書き出せる~~
この別冊のありがたさです
最近、おもろいな~何かいいな…って
ホント、嬉しい~(^▽^)
mogu
今回のお話、普段、私が思っていることを
Carinaさんが上手にまとめてくださいました。
と、言いながらも実は、「ですます調」の穏やかさ優しさが好きで
例えば「暮らしの○○」は、私の中のバイブルに誓いものがあります。
なぜ好きかと言えば、読んでいるだけで心が癒される、落ち着き生まれる、
今、流行りの?「ほっこり」とは違う
昭和の匂い漂う「暮らしの○○」の「しらべ」にうっとりしているんですね。
この手の雑誌がすすめるような、暮らしは「はなから無理」なので、読み流しですが^^;
そして裏読みをして、こんな暮らし出来るわけないじゃん!!とせせら笑いもしたり。
だけど、読んでしまうのは何故なんでしょう???
雑誌ひとつとってもいろんな想い、ここで言えば雑多な想いがせめぎ合うのですから、
別冊はテーマを絞らなくても、多種多様な角度で攻めて行くほうが私も面白いと思います。
いろんなものを見てみたい!(のぞいてみたい)