お年寄りが不愛想になる理由に、自分を重ねる。
雑種犬スー(2歳、オス、18キロ)と暮らしているのですが、毎日の散歩で一番気をつかうのは、「脳卒中などのリハビリにウォーキングを日課としている高齢男性」(奥さんが付き添っている場合もあり)です。
自分が、もしその人だったら、「うん?後ろから何やら息遣いがするぞ。犬か。(立ち止まり、捕まるところを探して手で握り、ゆっくり振り返る)やっぱり犬だ。まいったなあ。うっとうしいなあ。しかも、デカいじゃないか。デカい犬をオバハンが連れてるぞ。ああ。不安だ。迷惑だ。あの犬、俺にぶつからないか?!」と思うに違いありません。
犬が少し不規則な動きをしたり、グイッと寄ってきたのを避けようとしただけで、カラダのバランスを崩して転倒するかもしれない。ものすごい恐怖を感じるでしょう。そう思うようになってからは、かなり離れている段階で歩道から降り、大きく迂回するようにしてスーを急がせて、ずっーーーーと先まで行くようにしています。
リハビリは、孤独な営みです。かつては、「もー。おじさんたち、不機嫌な顔ばっかり。愛想が悪いし、挨拶もしない!嫌いだ!」と思ってきましたが、「体のバランスを維持しながら転倒しないで歩く。昨日より今日、一歩でも多く、スムーズに歩く」ことに意識を集中していたら、愛想よくする暇もゆとりもないとわかってきました。
わたしだって「沸騰したみそ汁をお椀一杯に入れて、一滴もこぼさないように歩かないと死ぬ」と言われたら、周囲を見るゆとりもないし、笑顔も出ないし、お辞儀する暇もないし、「ぶつかるな!」と祈るしかない。例えが軽すぎますが、それぐらいの集中を要するものなのだと思います。
先輩である高齢者たちが、笑顔なく、ゆとりなく、愛想がないのは、「立つ・歩く・かがむ・運ぶ・渡る・聞く」などの基本動作そのものに集中しないと、うまくできないからではないか。自分も老いの入り口に立って、少しですが、わかるようになってきました。
カラダの柔軟性と体勢のリカバリー力は、なんということのない微笑みや何げない挨拶の基盤なんだ。それらを失うと柔らかな笑顔や言葉が消えてしまう。
ウォーキングだけじゃなくて柔軟体操も大事、というよくあるオチになりますが、ときとしてお年寄りが見せる偏屈さや感じの悪さは、人格的な問題というより、肉体的な問題なのだと。私の場合は、両方重なりそう。余計ややこしいことになると覚悟しておいたほうがいいな。
しばらくお休みだったゆみるさんの「黒ヤギ通信」が帰ってきました!記事のなかにも可愛い猫がいっぱいだけど、な、なんとゆみる家にも!?
yuhina
今日の記事、ペットを飼ってらっしゃる全ての人に読んでいただきたいです。
私は正にリハビリする夫に付き添い散歩する妻なのですが、我が家の周りもペット天国。
長いリールの犬や、大型犬を3匹連れたご婦人、仲間に会って走り回る犬などに遭遇すると夫にみるみる力がはいるのが伝わり、こちらも緊張します。
逆に道を譲って下さったり、犬に待てを指示してくださる方には、大きな声でありがとうございます、助かりますとお礼を言います。
決してペット嫌いではないのです。
犬、可愛いですよね。
偏屈な老夫婦にならぬよう、こちらも気をつけますので、すれ違うワンちゃん連れの方、どうぞお互い気持ちよく散歩できるよう宜しくお願いします。