「明日のやりなおしを前提にしたちょっと手抜きの日々」がいい。
いつ死んでもいいように生きろ、といいますが、本当にそうだろうか。
今日も明日もその次もこのまんまの日々が続く、と思って生きていることこそ、かけがえのない感覚じゃなかろうか。
スーパーに買い物に行くと熟年夫婦がいっしょにやってきていて「今日も明日もあさっても目の前のこの人は、こんな感じで生きているだろう」と思うもなにもそう確信している感じが伝わってきて「いい味、出てる」と思います。
「おとうさん、これ、もう買っとく?」と問いかけたあとに返ってくる声の感じも、言葉も、その手ごたえのなさ加減も、よく知っていて暗記しているといってもいい。で、実際に案の定の言葉が返る。
再演に再演を重ねた超ロングラン舞台に立つベテラン俳優みたいに(ときにアドリブが入れられるとさらにいいけど。あんまり入らない。器用じゃないから、どっちも)
年ともに人生は、朝昼晩のごはんやお風呂や睡眠など「繰り返し」の要素が強まり、「繰り返し」への愛着も深まるので、今日のあとに明日、その次の明日と繰り返す行為そのものが「生きる希望」の土壌になる。「生きる希望」は、油断や怠慢や安堵という、日常をちゃんと積み重ねてきたことで手に入る、ふかふかの肥えた土壌から生えているのだ。
だから、いつ死んでもいいように、なんて全力投球せずにテキトーにごはんを済ませるみたいな「明日のやりなおしを前提にしたちょっと手抜きの日々」がわたしは、好きだな。
これからも、それぐらいの感じで今日の次に明日、そのまた明日という繰り返しを生きていきたいです。
みなさん、マスクはどうされていますか?わたしは、先週、初めてのオサレ手作りマスクを手に入れました!「いどばた。」でマスクについていろいろおしゃべりしませんか。マスクのことならなんでもよし。自慢の手作りマスクを画像つきで自慢してくれてもいいですよー。
オバフォーは、今週もこつこつ更新します。時間のあるときに遊びに来てください。加齢を感じたらカレー記念日!投稿、お待ちしています!