なぜ、わたしは、こうなのか?と日常生活で自分がイヤになるとき。
こんにちは!カリーナです。
先週金曜日更新の「いどばた。」のテーマは、「地味にイライラすること、ありますか?」でした。爽子さんは、「コンディショナーが、まだ結構な量残ってるのに、出てこないのには、非常にイライラします」と書いていました。(まだコメント募集中です!みなさんの地味イラ、教えてください)
爽子さんのイライラに、わかるー。
と思っていましたが、わたし、もっとイライラする、それも地味に、でなくて、派手にイライラすること、というか、ものを見つけました。
それは、食器を割る自分です。
先週、2日続けて割りました。それも3枚しかない焼き魚用の長皿を立て続けに。もう、残り、1枚しかありません。
こんな自分、もうイヤだ。つきあいたくない。つきあっていける自信がない。
年明け早々には、ガラスの小鉢も割りました。
一度など、シンガポールライスを炊飯器で炊いて、さあ、できあがったと盛り付けてテーブルに乗せようとした途端に大きく弧を描いて料理ごと飛んでいきました。木っ端みじんに割れた食器とごはんと鶏肉が混ざり合う大惨事になりました。
ここまで派手なケースはまれで、ほとんどの場合は、食器洗いのときに手が滑って器が落ち、下にあった皿を直撃するケース。落下した器が割れることもあれば、追突された衝撃で下の器が割れることもあります。
いつだったか義母は、「皿なんて割ったことない。どんな人が割るんやろか」と言っていました。
ここだよ。ここにいるよ。ああ。わたし、あなたにはならなくていいけど、あなたのように食器を割らない人にはなりたい。
雑だから割ってしまうのでしょうか。手が小さくて握力がないから、つまり、身体構造&機能的に仕方のないことなのでしょうか。
先週金曜、京都の骨董市で江戸後期のそば猪口(ガタつきありで安い)を二つ買ったのですが、割りはしないかとヒヤヒヤもの。数百年の歴史にわたしが終止符を打つことになるのだろうな、いつかは。
2日続けて割った長皿は、夫と信楽に遊びに行ったときに窯元で買ったものなんですよ。思い出の皿だったのになあ。
わたしにとって、このわたしは、それほどつきあいにくいヤツではないけれど、この点に関しては本当にイヤ。つきあいきれない。
嘆いていても仕方がないので、心を入れ替えて食器を洗う順番や、洗うときの置き場所を考えなおしました。こういうの、みんな、すでにやっていることなのかな・・・。
そういうわけで、がんばります。
今週もオバフォーはコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。
爽子
カリーナさん、ものを無くしたり、壊したりする時、わたしは、身代わりになってくれたと思うことにしています。
高価な時計やアクセサリーも消えて身代わりになってくれました。
あちゃー!と思った後、そう思ってください。
骨折の身代わり、重篤な病気や事故の身代わり。
ああ、感謝。
タマちゃん
私も食器を割ったり、壊したりします。私の場合は握り方が弱いのか?ツルッと滑って落としたりです
(もともと注意散漫ではあります)
しかし起きたことはもう変えられないので、今後気を付けよう(と何度思ったことか!!)と済ませ
あとは厄落しと捉えます。
小さい怪我はしょっちゅうしてますが、入院するまではいかないので身代わりかなと思うことに…
また、壊したり失くしたりがある時はキャパオーバーだと思って、落ち着いたり休んだりするように心がけます
カリーナ Post author
タマちゃんさん
ありがとうございます!
私も「身代わり」と思うようにします。
そして
>壊したり失くしたりがある時はキャパオーバーだと思って、落ち着いたり休んだりするように心がけます
って素敵な考え方ですねー。
自分を責めず、休ませる方向に舵を切る。
年とともに大事だなあと思います。
カリーナ Post author
爽子さん
「身代わり」の考え方、私もすることにしました!
あと思ったんだけど
割った食器もそれなりの年数、使っているだよねえー。
感謝、感謝。