【エピソード15】高度成長期のサラリーマンライフ
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしいエピソードをご紹介していきます。
【エピソード 15】
大正14年(1925年)生まれのミチオさん。日本の高度成長期(1955~1973)を働き盛りのサラリーマンとして過ごしました。「モーレツ社員」「エコノミック・アニマル」などの言葉も生まれた中で、会社のため、そして家族(妻と2人の子ども)のためにがんばりました。
家電メーカーの営業マンだったミチオさん。
家電製品は “三種の神器”「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」(1950年代後半から普及)の時代を経て、その頃の主要商品は「カラーテレビ、クーラー」でした。つくれば売れる時代、とにかく売りまくりました。
そんな主要商品以外にもこの時代は新製品が続々と発売になりました。中でも、ミチオさんが課長時代に携わった忘れられない製品が「ホットプレート」。今でこそホットプレートは一家に1台はある(!?)普及品ですが、当時は「それ、何?」という全く新しいタイプの家電でした。
しかしミチオさんは、本社からホットプレートが紹介されるや、「これは絶対ヒットする」と確信したそうです。そして、ミチオさんの課で販売戦略「ホットプレート大作戦!」なるものを打ち立て、営業マンは「ホットプレート大作戦!」の名の下でお揃いの “ハッピ”を身に着け、見本製品を携えて日々営業活動に邁進したそうです。
東芝製の初期のホットプレート(オークファンサイトより)
単に家電販売店への説明やコーナー取りにとどまらず、販売店での実演販売を導入したり、料理教室を開催して直接主婦にPRしたり、「その便利さ、作った料理の美味しさを知ってもらえば必ず売れる」というミチオさんの信念で、部下たちも一丸となり、日々の残業、休日出勤、連日の出張もものともせず、がんばったそうです。
その頃は家電量販店なるものは存在せず、どの町にもメーカーごとの家電販売店が数多くありましたが、販促活動は、担当地域の販売店すべてに足を運ぶ徹底ぶりでした。その結果、ホットプレートはその製品自体の良さもあり、売上げ新記録を樹立! 本社から表彰されたり、社内報で「ホットプレート大作戦!」特集が掲載されたりしました。
『主婦の友』付録に掲載されたホットプレート料理(昭和40年)
もちろんミチオさんは、家でもホットプレートをたくさん使いました。
こんなヒット商品だけではなく、試作品やほとんど普及せず消えた製品も、たくさん持ち込みました。「自動缶開け機」(けっこう便利でした。プルトップ缶の出現で今では幻の家電です)、「自動かつお節削り機」(当時のかつお節は削る前の一本物。かんなのような削り器で削るのは力が必要で、この家電も家族は喜んで使っていました。今やこれも幻の製品です)などです。
そんな忙しいミチオさんは、仕事仕事でほとんど休みもない毎日でしたが、たまの休日に子どもたちと過ごすことが、本当に楽しみだったそうです。
休みの朝、まだ布団で横になっているミチオさんのところに来る2人の子どもたちを、片腕に1人ずつ腕枕(つまり両腕)して、本を読んであげると、子どもたちは本当に喜んでいました。そんなささやかな限られた子どもたちとの時間が、なにより貴重なひと時でした。
高度成長期、家電製品花盛り時代の家電メーカーサラリーマン、ミチオさんの思い出でした。
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