【エピソード28】あの頃のお風呂屋さん
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている
「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしい
エピソードをご紹介していきます。
テレビドラマの舞台になったり、フォークソングの歌詞に登場したり。昭和40年代まで、銭湯という場所は街の中でまだまだ元気な存在でした。昭和33年生まれのミドリさん。彼女の記憶の中の銭湯も、人々が穏やかに集う、文字通りあったかい「お風呂屋さん」の風景です。
・お母さんと通った銭湯
ミドリさんが幼い頃を過ごした家は4階建ての集合住宅。鉄筋コンクリート造りの、そこそこ目新しいアパートでした。が、まだお風呂はありませんでした。それでも銭湯には困らない時代。ミドリさんの家からも、歩いて5~6分のところに、行きつけのお風呂屋さんはありました。
銭湯へは主にお母さんと一緒に行っていました。タオルや石鹸を入れた洗面器を風呂敷に包んでお母さんが持ちます。ミドリさんの持ち物は、お気に入りのジョウロを入れた赤い小さなバケツ。ミドリさんのお風呂での遊び道具です。お母さんに手を引かれながら、家の前の公園を抜け、子どもたちの遊ぶ声が聞こえる住宅街の路地を過ぎると、細い煙突と「湯」の文字の暖簾がすぐに見えてきました。
引き戸を開け,漢数字の書かれた下駄箱に履き物をしまうと、幼いミドリさんにとっては、ものすごく高い場所に座るオバサンから「いらっしゃい、16円」の声。昭和30年代半ば頃まで、大人の銭湯の料金は洗髪代を含めないと16円でした。「じゅうろくえん」という番台からのオバサンの声を、ミドリさんは今もよく覚えていると言います。
脱衣場には見知った顔もたくさんいました。中央の、脱衣かごの並ぶ棚の一番上は、赤ちゃんを寝かせられるように、低い柵のついた木製のベッドのようになっていました。そこに、何人ものお母さんたちが、お風呂上りの赤ちゃんを寝かせて、ベビーパウダ―をパタパタとはたいています。
今思えばなかなか優れものの設備です。ふつうのベビーベッドのように、お母さんが屈みこんで赤ちゃんの世話をしなくていい。もちろん今の銭湯の脱衣場では見かけない風景でしょう。世の中にまだ子どもがいっぱいいた頃ならではの銭湯のサービスでした。
・ミドリちゃん、冒険する
夏場は、涼しくなる時間帯を見計らって、お風呂屋さんに出かけるのが日課でした。ミドリさんが3歳にもならないある日の午後、お昼寝をしているミドリさんを置いて、近くまで買い物に出かけたお母さん。帰ってくると、寝ていたはずのミドリさんがいません。驚いたお母さん、慌てて近所を探し始めました。
ちょうど同じ頃、ミドリさんはいつもの公園を抜け、お風呂屋さんまでの道を一人で歩いていました。手にはしっかり、いつもの赤いバケツとジョウロを持って、お母さんを呼びながら、泣きじゃくりながら…。
そして、泣き顔のままお風呂屋さんの引き戸をガラッと開けると、見知ったよそのお母さんが、赤ちゃんの世話をする手を止めて、「あれ? ミドリちゃん一人?」番台の上のオバサンもびっくりしたことでしょう。説明もうまくできないまま泣いていると、再び引き戸がガラッと。それはミドリさんのお母さんでした。
泣きながら歩いたお風呂屋さんまでの道、よそのお母さんの驚いた顔、ミドリさんを見つけたお母さんのホッとした表情――とぎれとぎれの、この3つの情景をミドリさんは今でもはっきり思い出すことができます。
それにしてもお母さんは、なぜミドリさんがお風呂屋さんにいるとわかったのか。後になってからお母さんはミドリさんに話してくれました。 「お昼寝する前に、『起きたら、お風呂屋さんに行こうね』と声を掛けたことを思い出したのよ」
自分で鍵を開け、一人で出かけたことも、道の真ん中を幼い子が一人で歩いていたことも、今の時代では考えられない、のんびりした出来事。目が覚めたらお母さんがいない、そんなパニックになった中でも、いつものお風呂グッズを忘れなかったところがおかしいですよねと、ミドリさんは思わず笑ってしまうのでした。
引っ越しに伴って、小学生になったころにはお風呂屋さんに通うこともなくなったミドリさん。あれから60年近くが経ちました。つい最近、自宅のお風呂の改修の日に近くの銭湯に出かけてみたそうです。銭湯ってこんなちっちゃかったかなぁ…。高い番台と広い脱衣場、大きなお風呂――銭湯といえば今でもこれが、ミドリさんの中の懐かしいイメージなのです。
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