アゲハのこと
今朝、今年はじめてアゲハ蝶を見かけました(このあと、チョウチョの写真をいくつか掲載しています。虫が苦手な方はご注意ください)。
菜の花の周りを休むことなく飛び回り、この世界に再び現れた喜びを全身であらわしているかのように見えました。
アゲハといえば、去年の秋の忘れられない思い出があります。
秋も深まった11月のこと、マンションの外廊下の手すりに、奇妙なものがぶら下がっているのをみつけました。黄緑色のそれはとても繊細できれいでした。
さなぎの写真を撮り忘れたため、ネットから拝借しています。
なにかのさなぎかな。こんな季節にめずらしいなとは思いましたが、毎日、前を通るたびに
「おはよう」「気をつけて」「元気でね」と声を掛け、羽化するときを楽しみにしていました。
ある日、あんなにきれいだったエメラルドグリーンが灰色に変わっていました。
「あれ、色が変化したぞ、何か起こるのかも!」と思ったその次の日、さなぎはもぬけの殻になっていました。
ここからはすべて実際の写真です
「しまった!羽化の瞬間を見逃しちゃった」と思い、がっかりしていると、手すりの向こうにしがみつく羽化したてのアゲハとバチッと目が合いました。
アゲハの身体はまだ濡れたままで、指を差し出すと、必死によじ登ってきました。「わああああ」感動するやら、怖いやら、かわいいやらで身体が熱くなるような興奮状態に陥った私。「ど、ど、どうすればいいの?」スマホで検索して、羽根がかわくまで30分くらいかかるということを知り、いったん葉っぱの上にそっと載せてその場を離れました。30分後、戻ってみると、寒くて硬直状態になった姿を発見!ああ、気温が低すぎるんだ。慌てて捕獲して家に連れて帰りました。
暖房をつけてあげると、少しずつ動きがよくなり、しきりに羽根を広げようとします。さなぎのころから声を掛けていたせいか、私の声が認識できるようで、声をかけると、羽根をぱたぱたさせてくれます。ところが、羽根の下の部分が縮れてしまっていて何度やってもきれいに伸ばすことができないのです。それでも果敢に飛ぼうしてはぽとりと下に落ち、飛んでは下に落ちを繰り返します。
ごはんをあげたら元気がでるかも、と思い、メープルシロップをあげたら、黄色のストローをくるくるっと伸ばして吸う姿が大層かわいらしく、昆虫をこんなにかわいいと思えたのは初めてかもしれません。
何度やっても飛べないことに気づいたのか、蝶は、その後飛ぶのをあきらめたように羽根を広げたまま、ずりずりと這うようにして窓の方へと進みだしました。家の観葉植物の上に載せてあげても、葉の上から降りて窓の方へと移動したがるのです。外は寒いのに、と思いながらも、できるだけ蝶の望むようにしてあげたいと思い、窓の外につれてでました。ベランダのブロックの上に載せると、どんどん端に移動していきます。「そっち行くと落ちちゃうよ、落ちたら死んじゃうよ。そうじゃなくてもこの気温の中では生きて生けないよ」と必死に説得しました。でも、蝶は、さらに端へ端へと移動し、もう落ちる寸前の際のところで、こちらをくるりと振り返り、長い触覚を2回振って、私に挨拶をしたように見えました「ありがとう、じゃあ、行くね」そう言ったように思いました。
そして、風がさあっと吹いた瞬間、はらりとあおられて階下に落ちていったのです。だれもいなくなったベランダで、私はひとり涙があふれて仕方ありませんでした。暖かい家の中にいることもできたのに、自分のいるべき場所はここじゃないとばかりに外に出て行ったアゲハ蝶。この子は私になにを教えにきてくれたのでしょう。本来の自分の居場所にいることが幸せなんだよ。自分らしくいられる場所を選ぶのが大事だよ。
今でも、さなぎがぶらさがっていた手すりの前を通ると、またあの蝶がいるのではないかという不思議な感覚にとらわれます。
そしてこの春は、あのときの蝶がもう一度生まれ変わって、今度は見事に羽化を成功させて私の前に現れてくれるのを楽しみにしているのです。だって、あのとき、また生まれておいでねと約束したのですから。
ちなみにこのときのアゲハ蝶はアカボシゴマダラという外来種。アゲハが卵から羽化する確率は、なんと0.6%未満という大変低い確率だそうです。
ちゃま
Eテレでカマキリ先生にアゲハ蝶の越冬の事を教わりました。
正月の頃、庭のコンクリートのに付いている正体を知りまして、いつ蝶に成るかと観察しましたが、暖かくなってもウンもスンも無く、蝶に成りませんでした。
成虫になる確率がソコまで低いとは知らず。
自然界は厳しい…。
Jane
虫は全般に苦手ですが、蝶は「来ないで~」と内心震えている私にまとわりついてくる、それゆえに向こうから交流を求められているようで、特にアゲハは、私には美しさと可愛らしさと恐怖感の混じった思いを抱かせる虫です。翅が欠けて色粉が褪せても懸命に飛んで、生まれた場所(木とか)に毎日同じような時刻に戻ってきたりして、生き物の本能と言えばそうなのでしょうが、つい擬人化してしまいます。
この世に生まれてすぐに死ぬ命は何のために生まれたのでしょうか。それでもメープルシロップ、吸いましたね。
でも蜘蛛や蟻やゲジゲジも、象もイルカも人間も、本当はぶくぶく生まれては消えていく泡のように、それぞれの違いも、発生して消える意味もないのかもしれず….分かりません。
りかさん
一気に読んだ後、
この頃こんなにも何かに向き合う事って
無かったかもなぁーって思いました。
自分の親を見送って数年。
今、夫の両親の介護、看護が始まって、
奔走する夫をサポートする日々ですが、
思うところ多々あります。
それは
私では無い誰かの生き方を
ジャッジしてるって部分がどうしても
顔を出して来てるんだなぁって
読んでてそう思いました。
頭では分かってるつもりでも、
気持ちはむくむく、です^^;。
良し悪しとかそんななんだかんだに向かうんじゃなくて、そこから自分が何を感じ取るか、そこに立ち返らなきゃ。
ミキティさんのコラムを読むと
いつも軌道修正って言葉が浮かびます。
mikity Post author
ちゃまさん、コメントありがとうございます。
ちゃまさんのみつけたさなぎもうまく羽化できなかったのですね。
わたしもふだん何気なくみているアゲハチョウの羽化率がそんなにも低いとは知りませんでした。このことを知ってからは、ひらひらと舞う姿が喜びに満ちあふれているように思えてならなくなりました。
mikity Post author
Janeさん、コメントありがとうございます。Janeさんの抱く、美しさとかわいらしさと恐怖感の混じった思い、よく分かります。びっしょり濡れた蝶がわたしの指を伝って、身体のほうまでどんどん登ってきたときは、うれしいやら怖いやらでなんとも複雑な心境でしたから。
そうなのです。ほんのわずかな時間しか生きることはできなかったけれど、蝶としての最初で最後の食事を目の前でとってくれたのは大きな喜びでした。ほんと、うれしかったのです。そしてその後の窓の方へ窓の方へと必死に進む本能のすさまじさには圧倒されるばかりでした。
ちいさなちいさな生き物だし何もしゃべらないけど、とてつもない大きな意識を持っているのを感じました。忘れられない一生の思い出です。
mikity Post author
りかさん、コメントありがとうございます。
わあ、なんだかとても深く呼んで頂いたようで恐縮です。
あのとき、まさに蝶とわたしの2人の世界になって、周りの人間や景色はぜんぶ消し飛んでいたんですよねぇ。本当に異次元といってもいいような空間だったんですよ。
でもやっぱり、人間としての日常も平行して繰り広げられるわけで、いつまでも異次元に居続けるわけにもいかないですよね。
りかさんのおっしゃる、ジャッジする部分。よおくわかります。知らず知らずのうちに判断して、いい、悪いをつけようとしている自分がいます。
そこいくと、あのときの蝶は、とてもニュートラルな存在だったように思います。生死すらジャッジすることなく、いちばん自分が自然にいられる状態を選択したのだと思います。
昆虫から学ぶこと多いです。暖かくなって、テントウムシ、かめむし、蜂、ちょうちょなどの姿を見ることが多くなり、また学びの季節がやってきたなと思っています。
爽子
mikityさんこんにちは。
mikityさんも、「虫愛ずる姫君」だったのですね。
蝶々は生まれた場所に帰ってきてくれると聞いています。
そんな話を耳にすると可愛さも倍増です。
うちの庭は、おもいつきにあれこれ植えたり置いたりしているからか
蝶々の宝庫?なんです。
孫娘三人はみんな蟲全般苦手で、ちょっとザンネンです。
アゲハや、アオスジアゲハとかクロアゲハ、モンシロチョウ、モンキチョウ
その他、名前の知らない蝶々も時々見かけます。
これからしばらくはバラゾウムシとの闘いなんです。
カメムシはノーサンキュー!
mikity Post author
爽子さん、コメントありがとうございます。
わあ、そうなんですね。
蝶々は生まれた場所に帰ってきてくれるんですね!
爽子さん宅のお庭は、蝶々がたくさん来るなんて、なんてうらやましい。
あのひらひらと軽やかに舞う姿を見ると、やっぱりちょっと他の虫たちとはちがう意識を持ってるんじゃないかとつい思ってしまいます。
カメムシもかわいいよー。
ナビィ
私も同じような経験があります。
この蝶の幼虫はオオムラサキのそれにそっくりで、うちの庭にムウちゃん(オオムラサキの幼虫はこう呼ばれてるようです)がいる!と思っていたら、そんなわけないわで外来種のあまりよろしくない蝶でした。でも蛹はとてもきれいで、ずっと見守っていたのですが、季節はもう秋も深まっており随分心配しました。
ある日、蛹がいなくなり慌てて周囲を探したら、ちょうどmikityさんの画像のようにちぢれた羽を引きずって草の上を這っていました。近くには弱ったカマキリもいたりして、でも蝶を見ると鎌をあげるんですよ。なので距離を引き離して、どうにか飛び立てないかなぁと陽当たりの良いところに誘導したり・・・
蝶もカマキリも数日後には動かなくなりました。なんだかなぁ、すごく切なくなったことを思い出しました。
爽子
レモン🍋の花芽がいっぱい。
先客も。
mikity Post author
ナビィさん、コメントありがとうございます。
そうなのです。アカボシゴマダラは外来種として敵視されているのですよね。蝶自身にはなんの罪もないのに、それもまた宿命のようでかわいそうでした。
秋に間違えて羽化してしまう個体は少なくないみたいですね。季節を間違えた方が悪いとはいえ、なんとかしてあげたくなってしまうのが人情ですよね。
最後には蝶をねらっていたカマキリも蝶も動かなくなっていた、というところに、人間の力などとうてい及ばない自然の摂理を感じました。人もまた、この大きな摂理のなかの一部でしかないのですよね。そのことを教えてもらったのかもしれません。
mikity Post author
爽子さん、お写真ありがとうございます。
すごい元気に花芽がついてますね!
そして葉っぱも元気に食べられている。。。