雨の中を自転車で走るのココロ。
なんだか天気がよくないなあ、と空を見上げるとポツッときた。
まあ、帽子も被っているし、ご近所だし、自転車飛ばせば、きっと大丈夫だろうと走り出す。だいたい、きっと大丈夫だろうと思った時に大丈夫だったためしがない。ほんの数回角を曲がっただけで、雨が本降りになり、周囲を歩いている人のほとんどが折りたたみではなくちゃんとした傘を広げているのを見ると、自分だけが先行きの見通せない人のような気分になってくる。
もう、帽子も何も関係なくなり、メガネは曇っているし、自転車のブレーキだって効きにくくなっている。自然とスピードが落ちて、雨に当たる時間がそれだけ長くなり、目的のスタバについたころには全身びしょ濡れである。
そして、スタバの入り口に自転車を止めつつ、このびしょ濡れの男がおしゃれな店内に入ってきて、スターバックスラテを注文したら、驚かれるんだろうなあと思うと、店内に入ることもできない。でもって、だんだん濡れた身体が冷たくなって、自販機でタリーズブランドの缶コーヒーを見つけて買うのであった。
ま、濡れた身体でスタバに入るのはさすがに迷惑だろうから、それはいいんだけれども、問題は、世の中の人たちは、どの段階で「いかん、戻ろう」と思うのか、ということなんである。
僕はいつもこんな調子で、「いったん、はじめっちゃったんだから、もういいや」と最後の最後で後悔することになる。最初のポツッと来たところで傘を差して歩いていくとか、今日はやめとこうとか、どうしてそう考えないのか。子どもの頃から、いつも、こんな調子だ。
で、このことを以前から考えていて、昔は僕みたいな奴はアホで、ちゃんと自転車をやめて傘を差して歩いていく人が思慮深い人だと思っていたのである。しかし、周囲にいる、僕の考える思慮深い人に聞いてみると、必ずしもご本人たちはそうは思っていないようなのだ。
「あのね、それは濡れていても自転車で走っていく人の考えですよ。逆にね、やっぱり雨が強くならずに止んでしまった時のことを考えてみてください。自転車の人は『ほらね、自転車乗ってきて良かった』と思って、そのことを忘れちゃうんですよ。だけど、私たちは『ああ、こんなでっかい傘持ってきたのに、止んじゃったよ」って思いながら、一日中傘持って歩くんですよ」。
なるほど、そうか。そういうことか。ならば、どちらも同じということか。
しかしである、どちらかに偏った人はそれでいい。つまり、いつも自転車を選んでしまう人、いつも傘を持って出る人。この二つのパターンなら、そういうことになるだろう。しかし、世の中には機を見て敏なる人がおられる。そう言う人はどうなるんだろう。
ああ、そうか。そう言う人が、いわゆる『うまくやっている奴』ってことなのか。う~ん、自分がそうなれる気がまったくしない。50年以上生きてきたのにな。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
つまみ
植松さん、こんにちは。
思慮が浅く見切り発車の人生で途中でやめることが苦手、なのになぜか、一日中使わない傘をよく持ち歩いている気がします。
偏らずにまんべんなく判断を誤っているのかワタシ!
でも勝手に「みんな、そんなもんだろ」と思ってもいます。
今後の人生、私もうまくやっていける気は全くしませんが、本当にしくじったり本当に不運だったら、50年以上生きて、ここで気楽にコメントをしてないだろうな自分、と。
共感はしてますが、植松さんを励ますとか、そんな畏れ多いことは思っておりません。
そうでも自分に言い聞かせないとやってらんない、のです(^_^;)
uematsu Post author
僕も時々、まんべんなく判断を誤っているのか、と思うことがあります。
そして、僕も同じように本気で不運なら、こんなこと書けなかったと思います(笑)。
嗚呼、小市民的幸せ。