道の仕事。その2
大阪の南部は運転があらい、ということで知られている。もっとも、関西圏で一番運転があらいのは京都だと信じて疑わないのだけれども、大阪府内ということに限ると、やはり南部へいくほど当時は運転が荒々しかったのである。
とりあえず、前を走る車との車間距離を車一台分でもあければ、「入っていいという合図」と見なされてしまうのだ。だから、みんな車間距離を詰めて走る。詰めて走るということは、こまめにアクセルをふかし、空いたら詰める、詰まりすぎたらブレーキを踏む、というエコからほど遠い運転をみんながしていたのである。
そんな大阪南部の交通量の多い国道の市境付近が女衒のオッサンの仕事の待ち合わせ場所だった。市街地へ入らずに、バイパスになった国道が大きくアーチを描いている。その袂に集合して、交通量調査をせよ、というのである。
「何人くらいでやるんですか」と聞かなかった僕が悪いと思う。
「今日の夜から、何時までやるんですか」と聞かなかった僕が悪いと思う。
けれども、けれども、誰がたった3人で、48時間ぶっ続けの交通量調査だと思うだろうか。48時間と言えば、1日24時間が2回分。つまり、丸々2日間である。その日は水曜日の夜。水曜日の夜10時からスタートして48時間ということは、次の日の木曜日の夜10時で24時間。そこからさらに24時間で金曜日の夜10時で終了する仕事なのであった。
48時間と聞くのと、水曜の夜から金曜の夜までぶっ続け、と聞くのとではわけが違う。
たった3人で、48時間休みなく、目の前の上り三車線下り三車線の道路を通る車の車種をカウントしていくのだという。
現場には僕が乗っていった自分の車。そう、山の仕事で崖下に落下しかけた車だ。僕の車と、後2人が乗ってきたバンが停まっていた。僕の車と一台のバンが高架下に停められていて、もう一台のバンが道路の脇に停められる。
僕たち3人は、この道路脇に停められたバンに乗り込んで、目の前をビュンビュン通る車をカウントしていく。バンのダッシュボードの上には長さ30センチくらいの板きれがあり、そこに小さなアナログのカウンターが5つ並んでいた。
「ええか、右端から普通車両、大型車両、特殊車両、緊急車両、軽車両。わかったか?」
なぜか、女衒のオッサンとまるっきり同じような口調でしゃべるおそらく四十代のオッサンが、僕に向かって言う。まるで、寅さんの口上のようだ。もう一人の男はおそらく僕よりも年齢が二つ三つ上。どう見たって、ヤンキー上がりで、前歯がシンナーで溶けている。その溶けた歯をニヤッと見せて笑う。
僕はこう見えて、貧乏だけれども大事に育てられたので、ボンボンなのである。びん坊ちゃまというわけではない。貧しいけれども、育ちのいい男なのである。そんな僕は溶けた歯でニヤッと笑われただけで、背筋が凍る。当時、僕はまだ二十歳そこそこ。ヤンキー上がりは僕に「名前なんていうん?」とまるで子どものように無邪気に話しかけてくる。「う、植松です」と答えると、「歳、なんぼ?」となれなれしい。僕が「21です」とかなんとか答えると、「うわっ、僕といっしょやん!」と嬉しそうに溶けた歯を見せるのである。
女衒のようなオッサン、歯の溶けたヤンキーと一緒に、僕はこれから、この狭い車の中で、48時間も一緒にいなければならないのか。集合してたった30分で、僕は絶望的な気分になっていた。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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はしーば
植松青年が、絶望でがっくりとうな垂れるほど、読み手の側はワクワクが増します。不謹慎者呼ばわりして下さい。
「アンパンで歯の溶けたヤンキー」、私の世代的には郷愁感と共に思い出しますが、彼らはいつ頃まで生息していたのでしょうか。
uematsu Post author
はしーばさん
いやもう、ほんと、不謹慎者ですね。
手に負えません。
アンパンで歯の溶けたヤンキーは、自転車のタイヤパンク用のシンナーを
自転車屋さんが中高生に売らなくなった昭和50年代から急速に減っていったそうですが、
逆にガンプラの作りすぎで、シンナーで脳みそが溶けた若者が
そのころから急増してきた気がしますです。はい。