武器を持つと人は変わる。ナイフとかお金とか。
中学生の頃、美術の時間に版画や彫刻があると、切り出しナイフを使っていた。父親が使っていた小さな切り出しナイフだけれど、これがとても使い心地がよかった。彫刻刀ではうまく削れないのに、この切り出しナイフだととてもきれいに削ることができた。
中学だったか高校だったか、よく覚えていないのだけれど、僕は学生服のポケットにこの切り出しナイフを入れていた。入れていたということは、美術の授業で木を削る必要があったのだろう。それ以外に、ナイフを持ち歩くなんてことはしたことがないので、それは間違いない。
そして、そんな時でも、僕はややこしい人に絡まれる運命にあるのだ。喧嘩っ早くて、ちょっとばかりややこしい同級生がいて、僕はそいつと小競り合いになった。運良くというかなんというか、同時にチャイムが鳴り授業が始まったので、「あとで校舎の裏にこい」という相手の捨て台詞でその場はおさまった。というか、終了した。
僕は授業中、どうしたもんかと考え続けた。逃げるのは恥ずかしい。だからといって、喧嘩で痛い思いをするのもイヤだ。少林寺拳法を習っていたけれど、武道と喧嘩はもちろん違う。いやはや、どうしたものか。
そう考えながら、突っ込んだポケットにナイフがあった。その瞬間に僕は妙に緊張しながらも、「ああ、ナイフがあったら、勝てるかもしれない」と確かに思ったのだ。しかし、ナイフで相手を刺す、なんていう物騒なことを考えていたわけではない。ナイフを持っていることで、もしくは相手に見せることで、喧嘩をせずにすむかもしれない、と漠然と思ったのだ。
僕は授業中、ポケットの中で切り出しナイフをさぐりながら、そんなことを漠然と考え続けていた。ポケットの中でナイフを広げてみて、刃にさわり、また閉じる。それを繰り返しながら、授業が終わるまで、考え続けた。
授業が終わった。仕方がない。校舎の裏には行かねばならん。僕はポケットの中で、ナイフを広げたり、閉じたりしていた。校舎裏にはそいつ一人ではなく、何人かのややこしいのが集まっていた。話が違う、と言っても仕方がない。やるかやられるかだ、と僕は思ったのだった。
まあ、そんなクリント・イーストウッドみたいに、「やるか、やられるかだぜ」とニヒルに思ったわけじゃなく、「殴られるか殴るか、どちらかにしないと結局終わらんのだろうなあ」と漠然と緊張で震えながら思ったのである。
そして、同時に、「ナイフでちょっとだけケガをさせてやればいいんじゃないか」という悪い思いつきが浮かんだ。しかも、僕が刺すと犯罪になるので、ポケットのなかで刃を広げておいて、もみ合いをしているうちに、事故で相手がけがをした、という設定はどうだろう。
僕は本当に短い間に、そんな筋書きを考えたのだ。そして、筋書きはどんどんふくらんで、ポケットの中に手を入れたまま、とりあえず、目の前のいちばん強そうな奴を刺して、もみ合いになるように誘導する。そして、途中、相手が血を流していることに気付いたふりをして叫ぶ。そうすれば、最小限のケガで、事態が収まり、僕も罪を問われることはないはずだ、と思ったのだった。
今考えると、恐ろしい話だ。恐ろしい話だけれど、ポケットの中でナイフを握りしめていることで、「これを使えば」という気持ちになってしまったのだった。
みなさん、気付いただろうか。僕はポケットの中でナイフを開いたり閉じたりしていたのだ。そして、ポケットの中でナイフを握りしめたのだ。そう、僕は自分のポケットで、自分のナイフで自分の指を切ってしまったのだった。
しかし、緊張が勝ちすぎて、そんなことにはまったく気付かなかった。気付かないまま、相手が「しばいたろか!」と小さく叫んだことに対して「やんのか!」とせいいっぱい虚勢をはっていたのだった。
そして、ポケットから手を出して、なんとなく鼻の頭をなで、口元をグイッとてのひらでぬぐったのだった。すると、相手が叫んだ。
「おまえ、血でてるやん」
相手は明らかに、動揺している。僕はなんのことだかわからないまま興奮している。
「なに、言うてんねん」
「そ、そ、そやから血が出てるねん」
「うそつけ」
「うそちゃうやん、血ぼたぼたやん」
そこで、僕は自分の手を見た。手が真っ赤であった。その手でさわった顔や白い学生シャツが赤い模様に染まっていた。
「な、な、なんやねん、気持ち悪いやつやなあ」
相手は動揺のあまり戦意喪失。僕は僕で、「ち、ち、血がでてる!」とこれまた戦意喪失。もしかしたら、ナイフで相手を傷つけてしまったかもしれない窮地から救われたのだった。
しかし、その時、明らかに僕は学んだのだと思う。ナイフを手にすると人は変わる。それまで、喧嘩の道具として、ナイフを持ちたいと思ったこともない僕が、ナイフで相手を傷つけるまでいかなくても、ナイフがあれば優位に立てる、と思ってしまったことが怖かった。
人は武器を持つと明らかに変わるのだ。持っていても使わなければいい、護身に持つだけで安心だ、とアメリカの銃携帯者はいうけれど、そんなの嘘に決まっている。持てば使いたくなる。それが武器なんだと思う。
さすがに日本では、本物の武器をもって、強気に振る舞っている人を見る機会はあまりないけれど、例えばお金も一緒だなと思う。持ち付けないような額のお金を持つと、人間は変わる。強気になり、疑心暗鬼になり、そして、お金を武器に、なにかしようとする。自分が偉いと勘違いする。つまり、お金も武器なんだと思う。
幸いにも今の僕はあまり、というか、ほとんどお金を持ってはいないけれど、これから先、何かの奇跡が起きても、決してお金持ちにならないように気を付けようと思う。お金持ちになりそうになったら、いろんな人たちと楽しいことをしてお金をばらまき、当座のお金だけを手元において暮らせればそれでいい。
子どもの頃の僕のように、自分を守るための武器だと思っていたナイフで、自分を傷つけることのないように、武器になるものの取り扱いにだけは気を付けたいと、心から思うのだった。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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okosama
恐ろしい話です。恐ろしい話だけれど、期待を裏切らない間抜けな結末(笑)で良かったです。すみません、uematsuさん流血してるのに。
銃を持つと、使うというより、映画やアニメの真似をしそうです。平和な所に住んでいるからこんな感覚になるのかなと思います。でも実物を目の当たりにするとドキドキするだけで触れないかも。
お金持ちには、なってみたいです。(笑)
横道にそれますが、学校関係では、尖った鉛筆を持つとドキドキします。自分の指先をつついていて血が出たことがあります。輪ゴム(鉄砲)も。
いろいろ取り扱いには気をつけたいです。
uematsu Post author
okosamaさん
もう、ほんとに流血してよかったなあ、と(笑)。
武器は怖いですね。
いまでも、武器を手に持っているときに追い詰められたら、
何をしでかしてしまうかわからない、という気がします。
尖った鉛筆もこわいですね。僕も自分の鉛筆で流血した事があります。
お金は時と場合に寄りますよね。
というか、持ち付けない人がお金を持つと、
ろくな事がないという気がします。
僕も自分で事務所をやっていて、一瞬「もうかってるやん!」
と思った事があって、その時はかなり気が大きくなっていました。
こわいこわい。お金は怖いです。
物は買えるし、人の横っ面をはたくこともできますからね。