山陰に向かう夜行列車の中で。
以前にも書いたかもしれないけれど、この時期になると思い出すことがある。
まだ二十歳になったばかりの頃。友人と8ミリカメラを片手に、リュックを担いで撮影旅行に出かけたことがある。まったくの思いつきで、「でも、なんか撮影してないと、なんだか足元から腐っていくような気がする」とかなんとかそれらしいことを言いながら急な出発を決めた。「旅に出ようぜ」といつもの関西弁から妙な関東弁で語り合いながら、その日の夜行に飛び乗ったのだった。
3月の半ば頃で、朝晩ひどく冷え込んだ年だった。僕と友人は、大阪駅で周遊券を買うと、そのまま山陰本線の夜行『だいせん』に乗り込んだ。当時、円高不況とか言われている頃で、もしかしたらまだJRが発足する国鉄時代のことだったかもしれない。
「さあ、映画を撮るぞ!」と意気込み、深夜の列車に乗り込むことだけで興奮気味だった僕たちも、福知山に着く頃には話すこともなくなり黙り込んでいた。「間もなく、福知山、福知山。福知山では、10分ほど停車いたします」というアナウンスを聞いて、僕たちは「缶コーヒーでも買いに行くか」と声をかけあった。その時、改めて車内を見渡したのだが、列車のなかは満席ではなかったけれど、車両毎に数名は立っている人がいる程度には混んでいた。
僕たちが座っていた2名が対面で座るボックス席のような座席の真後ろが乗降ドア部分になっていて、そのすき間に黒いワンピースを着たお母さんとセーラー服を着た女子中学生が立っていたのだった。なんとなく、沈鬱とした表情の二人を見て、きっと誰かのお通夜かなにかがあったのだろう、と僕は思った。そして、そんな日に席もなく立ち尽くしている母娘が不憫になってきた。
缶コーヒーを買いに行くとき僕たちは母娘に声をかけた。
「停車中、外の空気を吸ってきますので、その間だけでも座っててください」
僕たちがそういうと、最初は遠慮していたお母さんだったが、僕たちが重ねて申し出ると「ありがとうございます。座らせてもらいます。そのかわり、列車が出るときにはちゃんとあなたたちが座ってくださいね」と言って、座ってくれたのだった。
初めての夜行列車の旅、これから撮れるかもしれない素晴らしい映画、そして、なによりも「ここではないどこかへ」と出発したという高揚感。そんなあれやこれやに、なんとなく「いいことをした」という感覚が相まって、僕たちは妙に意気揚々と福知山の駅のホームへと降り立った。
あたたかい缶コーヒーを買い、10分ほど小雪の舞い散るホームの片隅で足踏みをしながら時間をつぶしていた。列車を見ると、さきほどの母娘が僕たちの席で穏やかに話をしていた。
しかし、その日の深夜の福知山駅は思いの外寒かった。缶コーヒーを買うだけだと言っても、コートを着てくるべきだった。僕たちはほんの数分のことだと思い、コートを母娘の座っている座席の上の網棚に置いたままホームに降りたのだった。
寒い、寒すぎる。いくらあと3分ほどだと言っても、これでは風邪を引いてしまう。でも、このタイミングで席に戻ると、きっとあの毅然とした「施しは受けないぜ」的な姿勢を鮮明に打ち出しているお母さんは席を立ってしまうはずだ。僕と友人は「あと数分くらいなら我慢できる。発車ベルが鳴るギリギリまで我慢しようぜ」とこれまたなぜかやせ我慢の象徴のように、いつもは使わない標準語で話すのだった。
その時だった。これから向かう駅の近くの踏切でポイント不良か何かがあり、その復旧のために30分ほど発車が遅れる、というアナウンスがあったのだった。僕と友人は顔を見合わせたが、ここで列車に戻ることはできなかった。僕たちはもう一本ずつ缶コーヒーを買い、それを飲みながら、互いの体を押しつけ合って、二人で押しくら饅頭を始めたのだった。
あの時は、旅の始めになんだか面白い出来事に出会ったなあ、というくらいの気持ちだったのだけれど、黒いワンピースの母親の毅然とした「席を譲ってもらうわけにはいかない」という態度と、そこにじっと寄り添っているセーラー服の娘の姿はいまだに鮮明で忘れられない。
反対に、一生忘れないだろうなあと思っていた海外で見た素晴らしい景色がとても曖昧な記憶になっていたりもして、人の想いなんて不確かだなあと思ったりする。
あの母娘の記憶も鮮明なのはここまでだ。この後、僕たちは発車ベルと同時に列車に乗り込んで再び母娘が立って元の席に座った気もする。もしかしたら、別の車両に乗って、発車してからさらに30分ほど母娘に席を譲ったままだったような気もする。いやいや、そこまでカッコ良くもなかったはずだしなあ。
ホームで寒さをしのいでいた時の記憶ばかりが鮮明で、その後がどうもうまく思い出せないのだ。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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