自分のことは自分でやります、ということ。
子供の頃から、詰めが甘い、と言われていた気がする。何をするにしても思いつきで走り出し、途中で投げ出しそうになる。ただ、思いつきがそこそこなので、途中で投げ出すにしても、そこそこ形になっていたりするのである。ということはどういうことかというと、いわゆる器用貧乏である。
あれこれ、いろいろできるのだが、最終的に何かを成し遂げた、という達成感がないまま、なんとなく褒められる、ということが多い人生だった。
もちろん、これではいかんと、一つの物事を突き詰めようとするのだけれど、それがままならない。あちらに進み、こちらに進みしているあいだに、知らない間にコピーライターという仕事に収まったという感覚が強い。
五十代も半ばになって、なんとなく振り返ると、それはきっと他人に甘える人生だったということに尽きるのではないかと思うようになった。最近、ヨメに「あんたは、計画性がない。そして、失敗しないようにという緊張感がない」と言われるのだが、その根底にあるのも、結局は行き当たりばったりで、人生を送ってきたということの代償のような、そんな気がしてきたのである。
ここ数年、「丁寧に生きたい」と思い続けてきたけれど、その前に、きちんと人生を考えなければならないのだな、ということに今更ながら気付いたけれど、もう遅いのだろうか。遅いのかもしれない。なにしろ、五十代も半ばだから。でも、手遅れだと言っていても仕方がない。これから先、ヨメに怒られ続けるわけにもいかない。そして、「丁寧に生きたい」という目標を諦めるわけにもいかない。だとすると、苦手だとか、無理だとか言っているよりも、どうすればいいのかを考えないとラチがあかないのである。
というわけで、僕は考えた。テレビのお笑い番組を見て笑っているふりをしながら、ただ体を使っているだけのランニングをしているように見せかけながら、僕は僕なりに一生懸命に考えた。
そして、結果として出てきたのは「人に甘えずに生きようと思う」という恐るべき多くの人にとって当たり前の答えだった。さらに、それを実現するために、何をしなければならないのかと考えると、「自分で出来ることは自分でやる」という、これまた、まるで小学生の夏休みの目標のようなものに行き着いてしまったのである。ということはどういうことだ?
答えは意外に簡単だった。小学生以来、先延ばしにしていた課題をここへきて乗り越えなければならんという恐ろしい局面に僕は立っているのである。しかも、小学生なら泣きながら「頑張ります」と言えばいいのだけれど、五十代半ばのオッサンは、いとも簡単に平気なふりをしながら、一生懸命に目の前の物事を考えて、「よっしゃ、それ、俺がやっとくから」と笑顔で言わねばならないのだ。できるだろうか。出来る気もするし、難しいことのような気もする。
出来るような気がする、という根拠は、おそらくみんなが当たり前のようにやっていることだから。そして、難しいことのような気がする根拠は、五十代半ばになるまで僕自身が出来なかったことだという気がするから。
出来なかったことなら、やってみればいい。そんなふうに思いながら、意外に当たり前のことだからこそ、「出来なければダメ人間決定」という気がして怖い。それでも、やらねばならん。そうだ、やるのだ。と僕が僕を鼓舞している。今回に限って「うそうそ、そんな無理は続かないって」と言ってくれる悪魔のささやきがまったく聞こえてこない。
悪魔がささやいてくれないのなら、もう仕方がない。五十代半ばにして、子供の頃から先延ばしにしてきた課題に果敢に挑むのみである。そして、なにやらわからないけれども、難しいことのような気もするけれども、今度ばかりは負ける気がしないのである。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
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クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
きゃらめる
勝手に妄想してみました。
ほんとはもっと高尚なレベルなのかもしれませんが、
ごめんあそばせ。
畳んでもらっておいた自分の洗濯物を
タンスにしまう、とか、
遅く帰宅した時の食器は自分で洗ってから寝る、とか
ひとり留守番の日は、お天気に気をつけておいて降り出したら洗濯物取り込む、とか、
ちょい気を利かせてごはんを研いで予約炊飯しておく、なんて言う感じなのかしらん。。。
前2つは、何年もかけて我が夫に仕込みました。
後ろ2つはなかなか難しいようで、
取り込んだ洗濯物がソファに無造作に置かれてしわくちゃ。それでも取り込むところまで進歩したので大仰にお礼を言って誉めて育ててる最中。
お米はできないっぽいです。
義母が生きてる間はする気にもならないのかも。一人っ子はこれだから!(笑)
uematsu Post author
きゃらめるさん
それはきっと出来ないのではなく、ようすをみて、出来ないことにしてるんだと思います(笑)。
覚えがあります。とりあえず、目につくとこだけやっておいて、あとはまあ、その、なんともゴニョゴニョってことで。
でも、あんまり追い詰められても、逆効果なんだけどなあ、と我ながら自分への甘さを猛省しながらも思う今日この頃。