パターソンから白井健三郎へと続く。
映画『パターソン』にやられてしまい、映画館に三回足を運んだ。そして、監督のジム・ジャームッシュの特集が読みたくて、十数年ぶりに詩の雑誌『ユリイカ』を買った。その中で一番最初に目に止まったのはジム・ジャームッシュのインタビューでもなく、アダム・ドライバーの記事でもなく、詩人・中村稔が書いた白井健三郎についての文章だった。
「私が出会った人々」という巻頭の一文を中村が書いているのだが、初めて見聞きした白井健三郎という人の生き様が柔らかな文体で描かれていて、心惹かれてしまった。
白井健三郎は文芸評論家、フランス文学者としてプロフィールなどでは紹介されていて、1998年に没している。飲酒の話、麻雀の話、「サド裁判」の話など興味深い話が次々と出てくるのだが、もっとも興味を惹かれたのは彼が若い頃に書いた詩作についてだった。
「無為のときには海へ行かう」と題された詩はまるで風が吹き抜けるかのような若い匂いがそこここに香る。
中村稔は、白井健三郎を次のように紹介している。
白井さんはあまりに叙情的資質が豊かであった。私たちが当時愛誦した
無為のときには海へ行かう
悲しいときには海へ行かう
波の戯言(ざれごと) 潮の香に
ゆるゆるゆると 時流さう
とはじまる「無為のときには海へ行かう」の詩人であった。
紙の本を読んでいて、「いいなあ」と思わせられるのは、こんなふうに本来読まなかったかも知れないページに知らず知らず引き込まれていく瞬間である。
電子書籍の可能性を僕は信じているし、その利便性も認めているが、「となりにある何かを知る」という一点に置いて、紙の本にかなうことがない。
そのことを忘れて電子書籍に肩入れしても仕方がない。電子書籍のネックをきちんと理解しながら、未来の本を考えることが一番大事なんだと思う。
そして、仕事にしてもプライベートにしても、何かをつくるという時に、こういうことを楽しまないといけないな、と思うのである。まっすぐにたどり着けない道のりを苦しみながら楽しむ。つくろうとしている何かの隣にあるものを無視したりすることなく、そこに何かがあれば、常に心を配りながら物事を進めていく。
そんなことを考え始めると、いつも亡くなったイランの映画監督アッバス・キアロスタミの作品名『』が浮かんでくるのである。
そう、そして人生はつづくのだ。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
https://store.line.me/stickershop/product/1150262/ja
クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
http://www.isana-ad.com/maron/pc/
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。