四十九日
叔母さんが亡くなった。父の妹に当たる人で、父方の親戚の中でも明るくしっかり者だった。親戚が集まるとごく自然にムードメイカーとなった。それだけに突然の病とあっけないその人生の終わりに誰もが、早すぎると呟き、寂しくなると視線を落とした。
実際、叔母さんが病気だと知らされたのは今年になってからで、それまでは身近な家族だけが知るトップシークレットだった。それは本人が周囲に心配を掛けたくないという気持ちと、同じように療養を続けている自分の弟の治療の邪魔をしたくないという気持ちがあったからだ。そして、何よりも、しっかりと病気を治してから、みんなと笑って話せるという希望があったからだと思う。
しかし、そんなことを言っていられないという状況は、叔母さんの想像を遙かに超えた速さで彼女に追いつき追い越していった。
僕はその叔母さんのことが子どものころから大好きで、親戚が集まって大人たちが酒を飲み始めることは嫌いだったのに、その叔母さんがいる席ならなんとか最後まで笑っていられたのだった。それはおそらく、叔母さんが酔っ払ったりすることなく、他の大人のように理不尽に僕たちを叱りつけたりするようなことがなかったからだろう。いつも、周囲に気を遣い、自分のことを後回しにする人だった。
そんな人だから、結局僕は一度お見舞いに行っただけだった。その時に、かなり状況は良くないとわかったのだが、その後、家族から連絡はなく、こちらから連絡したときにはすでに葬儀は終わっていた。
よく、「葬式はいらない」と言い残して亡くなる人は多いが、ほとんどは「そうは言っていられない」と葬儀を行い、人が集まり、気を遣い、お金を使ってしまう。しかし、叔母さんの生前からの性格をよく知る家族たちは、ちゃんと叔母さんの望むとおりに、ごくごく身内だけの家族葬を行い、僕たち親戚にも知らせずにきちんと遺言を守ったのだった。
その四十九日に出かけたのだが、そこで僕たちは叔母さんが最後に残した挨拶を見せてもらうことになった。ワープロで打たれ、プリントアウトされた文字は、ビジネス文書のようではあったが、書かれている内容は間違いなく叔母さんに言葉だった。
夫や息子たち、その奥さんや孫たち。夫の親戚、自分の兄弟、そして、僕たちのような甥っ子や姪っ子にまで、一言ずつ叔母さんは言葉を遺していった。
その一言ずつに目を通していると、当たり前のことだが、叔母さんには叔母さんの悩みがあり、迷いがあり、心残りがあって、どんなに亡くなることが悔しかったのかが滲んでくる。
みんなで食事をし、叔母さんのことを話し、最後に叔母さんが手入れしていた鉢植えの花などをみんなでぼんやと眺めていると、「主がいなくなってもちゃんと花は咲いてくれて」という夫であるおじさんの声が聞こえ、その花の回りを蝶々がひらひらと舞うのだった。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
https://store.line.me/stickershop/product/1150262/ja
クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
http://www.isana-ad.com/maron/pc/
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。