バスに乗る。そして、親父の一番長い日。
子どもの頃、大嫌いだったバスが、最近大好きになった。
特に東京の町中をバスで走ると、自分が小津安二郎の映画の登場人物のような気分になり、妙に懐かしい気分になる。
年配の客が多いからだろうか。それとも地域の足として、小学生や家族連れがそこそこ乗り込んでくるからだろうか。電車の乗客よりも、お年寄りに席を譲る人が多いがするし、行き先や料金について運手さんに声をかける人も多い。そんな細かなあれやこれやが、子どもの頃に眺めたことがある風景に結びついているのかもしれない。
そして、ふいにさだまさしなのである。なぜだろう。バスに一人で乗っていると、ふいにさだまさしの「親父の一番長い日」の一節が浮かんでくるのだ。
手塩に掛けて育てた娘が結婚相手を連れてくる。そして、「娘さんをください」という。
それを聞いた父親の描写が歌詞に書かれている。
いくつもの思い出が親父の中をよぎり
だからついあんな大声を出させた
初めて見る親父の狼狽 妹の大粒の涙
家中の時が止まった
とりなすお袋に とりつく島も与えず
声を震わせて親父はかぶりを振った
けれど妹の真実(ほんとう)を見た時
目を閉じ深く息をして
小さな声で…
「わかった娘はくれてやる
そのかわり一度でいい
奪っていく君を 君を殴らせろ」と言った
親父として
さだまさしのすごいところは、たいした歌詞ではないと感じさせるところだと思う。ある意味、ありきたりな描写を積み重ねて、誰もが「わかるわかる」という場面を創り上げる。それなのに、いきなり「妹の真実(ほんとう)を見た時」という謎めいた言葉を放り込む。
そして、なぜかこの部分がバスに乗っている僕の頭のなかで何度も流れ出すのである。たぶん、今度の土曜日も、僕は自分が生まれ育ったわけでもない東京でバスに乗り、ほんの少し人情のようなものに触れ、小津安二郎を思い出し、さだまさしの歌を思い浮かべ鼻歌を歌っているのだろう。