ヘレンケラーのおばちゃん
子どもの頃、何度か会ったことがある女性がいる。白髪で割と短めの髪型で少しカールしているのだけれど、その様子が当時読んでいた子ども向けの伝記シリーズの「ヘレン・ケラー」の表紙の絵に似ていたのだ。そこで、まだ小学生の低学年だった僕と弟はその人のことをヘレンケラーのおばちゃんと呼んでいた。
呼んでいたと言っても、その当時数回しか会ったことがなく、直接親しく話したという記憶もない。ただ、そういえば、「ヘレンケラーのおばちゃん」と呼んでいた人がいたなあ、という記憶があり、その記憶の中で、ヘレンケラーのおばちゃんは優しそうに微笑んでいたのだ。
ところが、つい数ヵ月前に父の生まれ故郷である淡路島に出かけ、いろいろと父のルーツを探ろうとお寺などを訪ね歩いている時に、ふと思い出したのである。その、ヘレンケラーのおばちゃんのことを。思い出したと言っても詳細を思い出したのではなく、そういう人がいたということをふいに思い出したのだが、母に聞くと、実はそのおばちゃんは父にとってよからぬ人だったということが発覚したのだ。
父の実家のそこそこあった財産をしれっと持ち出して、我が物にしてしまった遠縁のそこそこ悪い人物だったというのだ。なるほど、そうだったのか。だとすると、まだ小学校の低学年だった僕たちには分からなかったとは言え、父が「この恨み晴らさでおくべきか」と思っていたような相手を、「ヘレンケラーのおばちゃんや!」とうれしそうに叫んでいた我が息子たちのことをどう思っていたのだろうか。子どものこととは言え、「この女は歴史に残るような人物ちゃうぞ、悪党やぞ」とか思っていたかもしれない。
なんだか、亡くなった父に対して、悪い事をしたような、そんな気持ちになったのだが、そんなことを言い出すと、もっともっと山のように「知らず知らずしでかしていること」というのがあって、もし、この歳になってからそんなことが次々に発覚すると、生きてはいけないくらいにショックを受けるに違いないという気持ちになってしまう。
あ、そういえば、人は死んでしまってから閻魔大王の前につれて行かれるというではないか。その時に、そういう「知らず知らずしでかしたこと」も含まれるのではないか、という気がして恐ろしくなる。せっかく死んでしまって「これからはあくせくしなくてもすむんだなあ」と思っていた矢先に、急に忘れていたあれやこれやを無理矢理思い出さされてか弱い心に鞭打たれるような仕打ちを受けるのである。
こんな辛いことはないと思うのだが、こんなことばかり考えてしまうのは、コロナで思うようにならないことばかりだからかもしれない。ほんと、閑はあるのに、夜しっかり眠れないのよ。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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Jane
ヘレン・ケラーの通っていた盲学校、近くにあります。
子供の頃何回も読んだ本の表紙の絵又は写真って、すごく記憶に残りますよね。
私はアンネ・フランクの日記の表紙のアンネの写真が、語り掛けてくるようで、(不幸な亡くなり方をしていることから)本棚のそれが夜は怖くて。今でもユダヤ人の女性の顔にアンネの面影を見るような気がするときがあって、どきっとします。