パン、食べ放題
パンが食べ放題なのである。いくら食べても誰も怒らない。なんなら、たくさん食べてください、とウェルカムな笑顔でお姉さんたちが迎えてくれるのである。しかも、香ばしい匂いがする焼きたてのパンが次々とバスケットに山盛りにされ、テーブルの間をくるくるとやってくる。
パスタを食べたり、チキンを食べたりしていた客たちが、撒き餌が放り込まれた釣り堀のようにざわざわと波立つように騒ぎ出して、笑顔になって、「私はほうれん草のコッペパン!」とか「にんじんのパンもオレンジ色できれいだわ」などと指をさしては自分の皿にいれてもらう。
こんなに幸せで平和な光景があるだろうか。いや、あるのだ、日本には、こんな幸せな光景が! そう思い立ち、新型コロナで鬱々とした気持ちを幸せなパンの香りで吹き飛ばそうと行ってみたのだ。パン、食べ放題の店へ。もしかしたら、コロナの影響で食べ放題は取りやめられているかも、と思ったのだが、ちゃんとやっていた。テーブルの間を練り歩くという趣向は中止されていたが感染対策をきちんとした上で、食べたいだけ焼きたてのパンが食べられるのである。
さて、ここで問題だ。こんな世の中だからこそ、パンをたくさん食べて幸せを感じたい。しかし、わたしゃもういい歳こいたおっさんだ。そんなに食べられない。しかも、最近、ステイホームを心がけているからか、太ってきた。腹回りがちと苦しい。なんなら、三月に予定されている教えている学校の卒業式に着ていくスーツが危ないかもしれない。そんなときに、山ほどパンを食べるとえらいことになる。
そう考えて、小さめのパンをいくつかもらう。案の定、食べ放題なのに最初の一巡目を食べただけでお腹がいっぱいになる。二巡目に入れない。しかし、せっかく食べ放題なんだから、と、二つほどこれまた小さなパンをもらう。そして、一つを食べてギブアップする。ギブアップしつつも、時間をかけて残したパンを少しずつちぎって食べる。結局、お腹いっぱい食べてしまい後悔だけが残る。
なんだ、この子どもの頃、読み聞かされた寓話のような展開は。幸せを求めていたのに、切り上げるタイミングを忘れて後悔してしまう。日本昔話のスタンダードな展開じゃないか。大きなつづらを選ぶと宝物じゃなくお化けが入ってるし、欲張って歌を最後まで聞くと宝物は手に入らなくなるし。なるほど、そういうありがちな人間の馬鹿な行動を戒めるために、昔話はあったのだと言うことに改めて気付く。いやほんと、欲張ってろくなことはない。
しかし、それでも1つ余分にパンを取ってしまう、あの感覚って何なんだろう。目の前を回っていくサーモンのにぎりをもう一皿取ってしまう、あの瞬間の動きの速さってなんなんだろう。ただ卑しいだけって気もするし、本能的に「あるうちに食べとけ」と言われているような気もするし。
いや、それよりももしかしたら、ちょっと甘い、香ばしい焼きたてのパンを口に入れた至福感で何かを忘れようとしているのかもしれない。少しで幸せな時間をちょっと無理してでも長引かせようとしているような気もする。いろいろ考えたけれど、それが一番しっくりくる。いやでもなあ。日々、そんなに不幸な気もしないんだけどなあ。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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