マスクをして撮るか。外して撮るか。
映画の学校で講師のようなことをしているのだが、最近、ちょっと悩んでいることがある。それは、映画作品をコロナ禍であることを意識して撮るかどうか、ということだ。つまり、いま撮る映画なのだから、時代を反映して題材としてコロナを取り入れる、という考え方がある。一方で、いまの状況が異常なのだから、ずっと残る映画作品は感染対策をした上で、マスクを外して撮影する方が良い、という考え方もある。
コレまで僕は、マスクを外して撮影するやり方を推奨してきた。だって、マスクをしたまま役者が演技をしていると、「ああ、コロナ禍に撮った作品だな」とか「コロナの時代を舞台にした映画なんだな」ということが先になって、物語に集中できないのではないか、と考えたからだ。
でも、もしも、この状況が後半年1年で収まらず、数年続くとしたら、徹底的にマスクをして、スクリーンの中で恋人たちがマスクをしたままで抱擁するような作品を撮らなければならないのではないか、という気持ちもしてきたのである。
正直、正解はわからない。というか、現時点で正解はないのだと思う。思うけれど、どちらかを選択しなければならないし、選択することに今を生きるという意味があるのかもしれないと思う。そんなことを考えていると、映画には旬がある、という話を思い出す。いつまでも残ることを考えるのではなく、いまこの瞬間に最高だと思うものを創造する。その結果、それが後の時代に語り継がれていくのだという話だ。
鈴木清順監督が、「小津さんだって、いつまでも自分の作品が見られて傑作だなんて言われているのは嫌でしょう」というようなことを言っていた気がするけれど、その通りだと思う。映画人たるもの、いまこの時代を色濃く反映して、いまの人たちに向けて、映画を撮るべきなのかもしれない。
だって、あと数年この状況が続いたとしたら、マスクをした観客の前で、無防備に抱き合ってキスをしているという場面を穏やかな気持ちで鑑賞出来なくなるような気がするから。ということは、「コロナ禍の時期にとった映画は、みんなマスクしていて鬱陶しくて見てられないよ」と言われることが正解なのかもしれない、という気がしてきたのである。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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