ピクトグラムのピクトグラム。
東京オリンピックは、いろんな意味で呪われたオリンピックと言っていいのだろうけれど、それはコロナ禍だからということではなく、これからのオリンピックは多かれ少なかれすべてのオリンピックが呪われたものになるという示唆のような気がする。
国家と国家がことあるごとに競い、戦い、奪い奪われしてきた歴史にピリオドを打つべく、スポーツの祭典が企画され、人々がその開催を待ち望むようになった。けれど、争っていてはダメだと願いつつも、戦争は無くならないし、国家間の協力体制だって国のトップの選挙のたびに政争の道具として利用され、右往左往する。
1964年の東京オリンピックで初めて本格的に導入されたと言われているピクトグラムが2020大会で再び注目を浴びたけれど、もしかしたらすべての進化というものは、ピクトグラムに象徴されるのかもしれない。ピクトグラムはスポーツ競技や施設の特徴を端的に捉えデザイン化したものだ。言葉ではなく視覚にダイレクトに訴えることで、老若男女、言葉の通じない人にも伝わるようになる。
こうして出来上がったものを大切に使うだけでいいのに、僕たちはこれを進化させようと考える。はっきりいえば、金にするために刷新しようとする。
そうして、シンプルなピクトグラムを飾り立てたり、いちど外したパーツを引き戻したりして、完成していたものを再び混沌としたものに引き戻してしまったりする。もちろん、そうした中から新しいスタンダードが生まれてくるということも理解しているつもりなのだが、最近は富に金のために混沌とさせているのか?と思う機会が増えた。
アスリートたちが懸命に協議する姿に心打たれながら、もう、そんな大きな祭典でなくてもいいんじゃないか?と思ったり、感動の大きさを維持しつつも別のやり方があるかもしれない、と思ったり。となると、基本に立ち返るということしかないのだろう。少なくともピクトグラムを眺めながら新しいピクトグラムを考えるという真似はやめなければならないのだろう。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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