海老江で降ります!
平日のお昼前。たぶん一番、電車が空いている時間帯に実家のある伊丹から乗り込んだ。大阪駅ではなく、北新地という駅を目指すので、ちょっと注意が必要だ。尼崎で分岐しているので時間帯によっては、尼崎駅で乗り換えなければならない。この日も、尼崎で降りて同じホームの向かい側に停まっている車両に乗り換える。
僕と同じように何人かの乗客が乗り換えたのだが、大阪駅を目指す人の方が多いので、この乗り換えで客はさらに減り、僕のいる車両は全部で3人しかいなかった。「ドアが閉まります」と言うアナウンスでドアが閉まり始めた瞬間に、おばさまが乗り込んできた。スマホ片手に話しながら。
なにやら、慌てふためいている。「いや、そやから、乗るいうから乗ったのに!乗ってないの?どうするの?どうしたらいいのか?わたし、わからへんのよ」といいつつ、話している相手との間合いを少しでも詰めたいのか車両の後ろの方に少しずつ歩き始める。しかし、そんなことをしても無駄だ。相手はおそらく尼崎駅のホームにいるのだろう。電車の中で歩いたって会えやしない。本人もそれ気付いたのだろう。ちょうど、僕の前あたりで立ち止まり、立ち尽くし、呆然としつつも電話の相手に問いかける。「それで、私は、どうしたらいいの。えっと、降りるのはどこの駅?」降りる駅も知らずに乗っていたのか、この人は。「えびえ?えび?えびえ?えびえね。えびえ!わかった!えびえでおります」えびえは海老江と書くのだが、尼崎を過ぎてちょうど僕の目的地である北新地との中間くらいだろうか。そこそこ人が乗り降りする駅である。よかったこの人は海老江で降りればいいのか。人ごとながらホッとする。
おばさまもホッとしたのだろう。僕の斜め前あたりの席にどっかと座り、大きく息を吐いた。スマホをしばらく眺めていたがそれもバッグのなかにしまって、一人なぜかリズムをとりながら歌っているかのように、テンポよくうなずいていたかと思うと、急にニッコリ笑ったのだ。よかった、この人のなかですべてがつながり、海老江で降りればすべてが元通りだということを強く納得したのだろう。その様子を見ながら、僕も自分が手に持っていた文庫本に目を戻したのだった。
さて、しばらく小説に集中していたのだが、気がつくと自分が降りるべき北新地駅に電車は到着していた。慌てて、本を閉じ立ち上がり出入り口に進もうと思った瞬間に、目の前のおばさまが僕と同じように慌てて立ち上がったのだ。彼女はいま目を醒ましたかのような顔をしている。海老江はとっくに過ぎている。「あっ!」と声をあげると、僕のあとを追うかのように彼女は電車を降りた。そして、再びスマホを取り出すと、おそらくもうすでに海老江に到着しかけている知り合いに電話をかけた。「あの、私、いま、えっとえっと、だいぶ過ぎてて」と話始める。もう少し事の顛末を知りたい所だが、僕もわりと急いでいたので、後の事はわからないまま。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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いまねえ
こんにちは。ドキドキしながら読みました。
「北新地」というと昔上田正樹が「ああ憧れの北新地ぃ」と歌った繁華街、
そんなイメージなのですが土地勘がないからほほう、海老名ならぬ海老江か、
海老江おばさまは無事にお友達と会えたのかしら、スマホ時代でも
すれ違いは変わらずあるものなのだなあ、居眠りには勝てないスマホかな、
なんて余分な短歌まで考えたりして、私もその車両に乗り合わせていた気分です。
そして困ったことが起きて心が慌てるとなぜか歩きながら話してしまう電話って
すごく親近感があります。
uematsu Post author
いまねえさん
目の前で突如繰り広げられる、
大阪のおばちゃん劇場。
なかなかに人間のおかしさや哀しみが
見え隠れして、飽きません。
北新地は今も大阪有数の歓楽街ですが、
コロナ禍でなかなか厳しい状況です。