Posted on by カリーナ
<第6回> 夫婦について考えることは、やっぱり夫個人について考えることになる。
「夫婦というレッスン」について(のこれまでのやりとり)、まだじっくり読んでませんが、読みます。夫婦やセックスのことは、あまり文字や言葉にしたことがない。夫のことはネタにするけど。表明しないってことも意志の表われだとも思っています。
夫婦について考えることは、やっぱり夫個人について考えることになります、私の場合。一般論が当てはまらないというより、興味がないのかも。そこから見えてくるものしか、自分には必要ないなと思っちゃう。視野狭窄症?
あと、これまた、人の言ったことに影響されているかもしれないですけど、前にはらぷが「夫のことを人に言おうとすると、どんどん素晴らしさが損なわれる」と言ってたよね(ニュアンスが違ってたらゴメン)。それ、すごくわかる。
今回、そういうもろもろを乗り越えて(?)何が言えるかわからないけど、なんか言おう。
カリーナ追記)つまみさんの夫を語るときの「ガードの固さ」は、わたしにも共通するところがあって「なんで固くなるんだろう」と常日ごろ思っているのですが、理由をちゃんと言葉にできません。「夫のことを人に言おうとすると、どんどん素晴らしさが損なわれる」という感覚についても「ああ、わかる」という人が多いのではないでしょうか。次回からは、そんな「夫婦という単位」に対する居心地の悪さや違和感などについても語っていきます。