<第7回> いまだに「夫婦」という「一単位」にピンときてない。
「夫婦」!私とオットは、いま数えてみたら今年で結婚9年目になるのですが、実はいまだに「夫婦」という言葉に慣れません。ご夫妻、とか言われると「えッ…あッそうか」ってなります。ジェンダー的な意味ではまったくなくてですよ。
子どもがいないからかなあと思ったけれど、そういう夫婦は他にもいっぱいいるしなあ。オットの家族と離れたところで住んでいるからかしら。
といろいろ考えてみているのですが、いまいちわかりません。そうした外因(環境)だけでもない気がする。
うすうすと、「夫婦」っていう「一単位」にピンときてないのかもしれないと思います。もちろん、「一単位」っていったって全部がくっつきあってひとつってわけじゃなく、ひとりひとりが一緒にいることで、頼ったり助けたり甘えたり共闘したり反目しあったりして生まれてくる「化学作用としての一単位」についてのことだとわかってはいるのですけど。
リチャード氏は私の夫です、というのはそんなに違和感がないんだけどなあ、不思議です。ひとりとひとりがセットになったときに、セットとして何か新しいものがあるのか、ないのか。面白いから、もうちょっと考えてみます!
つまみさんが書いてくれてた、「夫のことを人に言おうとすると、どんどん素晴らしさが損なわれる」って、うん、今でもそう思ってる。言えば言うほど(そんな言う機会ないけど(笑))、最終的に「や、もういいや、忘れて…」ってなります。オットのよさは自分にしかわからない、というのとは違うんだよなあ。
ひとつひとつの、それ単体では褒める要素のまったくないしょうもないエピソードのつみかさねでしか言えないのかも、ってケニー(← つまみさんの夫を私はこう呼んでいる。名前の音と、「ジャズをやっているから」という大変安直な理由でふざけて呼びはじめたのですが、あまりにもそのあだ名が似合わないためにかえって定着した)関連ツイートを見て思います。(あッ、これだと、ケニーに褒める要素がまったくないって言ってることになった!)
「人生フルーツ」、以前の「なんかすごい」で凛さんがコメントくださったときに、やっぱり大好きだとおっしゃっていました。それで、私も見てみたいな、と思ってウェブサイトを見て映画館も調べたのですけど、結局行けていない。
なので、伝わってくるさまざまな断片からの印象でしかないのですが、あのおふたりはずっと革命をやり続けていたんじゃないかというのが、まだ見てもいない私の予断です。日々の暮しを丁寧に、慈しんで、みたいな満ち足りて穏やかな印象は正直まったくありません。
これもなんでそう感じたんだろう、そういう感想は、ちまたにいっぱいあふれているのにな。これって、しあわせとはなにか、ってことにも繋がる気がします。山が深そう。
夫婦について書く前に、見るべきか見ないべきか、迷い中です。てんから間違っているかも。映画館から、文字通り塗り替えられて出てくることになるかもしれません(笑)
凜
はらぷさんこんばんは。
「夫のことを人に言おうとすると、どんどん素晴らしさが損なわれる」
というのはちょっとわかる気がします。
そうそう、べつに夫の良さは自分にしかわからないということじゃなくて。
たぶんそれは、関わり方の深さが全然違うから、一つのエピソードを話すにしてもニュアンスの伝わり方が違うということかなあ。話すうちに「あ、これは自分にしかわからないニュアンスかな」ってなって、結局言葉にするほどに伝えたい実際とはかけ離れて行くことに気づいて、だったら話さずに黙っていようとなっていくという。
で、津端ご夫妻のことですが「ときをためるくらし」「ふたりからひとり」を読んでいて思うのは、ながく一緒にいて阿吽の呼吸でいるというのは、相手を深く理解するということももちろんですが、相手を知れば知るほど自分自身を深く掘り下げていくということかなと。相手を見ながら自分自身はどうなんだろう。どうありたいんだろう。日々問いかけるというか。結局津端夫妻は自分自身のポリシーを曲げてないんですよね。もちろんお互いに感化されてきたこともおありでしょうし、すごく対応が柔軟だからわかりにくいけど、自分の芯みたいなものをしっかりお互いが持っていてそれをまげることがない。まげずにおたがいのそれを尊重しあう。はらぷさんのおっしゃる革命をやり続けていたんじゃないかというのはすごく腑に落ちます。毎日同じことをやり続けているようで実は全く違う新しいページを毎日切り開いている。そんな印象を私は持っております。
はらぷさんが実際お読みになったらどんな感想を持たれるのかまた伺ってみたいです(^^)
はらぷ
凛さん、こんばんは。
こちらにコメントいただいていたの全然気が付かずに、何週間もたってしまいました。うわーー!ごめんなさい!!
コメントうれしかったです。
ニュアンスの伝わり方が全然違う、そうかもしれません。
なんだか、形の定まっていないものに、固いもので輪郭をつけていくような感じになってしまうんですよね。。。
じつは、「人生フルーツ」はこのやりとりのあとで見たんです。
それで、いろいろ思うことがありました。
もしかしたらこの連載でも、そのあたりまでいく…かな?
相手を見ながら、自分自身を掘り下げていく、というのはつがいの醍醐味かもしれませんね。
そして、それでいておふたりが結局は自分自身のポリシーを曲げていない、ということ、すごく共感します。
二人三脚みたいに見えて、ひとりひとり。
本はまだ読んでいないのです。図書館で予約して、いったん順番がまわってきたのに、うっかり取り置き期限を過ぎて流してしまった。ばかばかばか。
ふたたび、列の一番後ろに並んで待っています。