自分の最期
なぜ「昭和枯れすすき」を思いうかべてしまったのでしょうか。
わからん。
ゴンゴンの介護、見送り、はたまた祖母の見送りなど、いろいろな「生の終わり」を体験して思ったことは、
「ああ、自分の最期はちゃんと決めておこう」
ってことです。
私には子供がいません。しかも海外です。近くに夫の家族以外の親族はいません。
夫の家族との関係は良好ですし、日本人の気のおけない友達もいます。でも、突き詰めれば、「ひとり」です。
こりゃあやばいぞ。もし万が一(いや、もう年齢的に千が一、百が一レベル)、ぶっ倒れたとき、大病を患ったとき、生死をさまようようなことになったとき、私はどうなるのだろう。死んでしまったらどうなるんだろう。
お葬式のこととか、入院のこととか、お金のこととか、そして誰に連絡するとか、いろいろなことが頭に浮かびますが、私は今のところ、絶対に意思表示をはっきりと示しておかなければならないことは、「延命をするかしないか」ということだと思っています。
これは、もっとも本人の気持ち・希望が届かなさそうなことではないでしょうか。
私の聞き間違いでなければ、台湾では健康保険証の登録内容に、延命をするしないということが登録できるようです。日本ではどうでしょうか。
しかし、延命をするしないは、残された家族の意見の方が優先されているように思います。(結局家族の同意が必要)
お葬式とかはなんとかなるだろうけど、装置を止める止めないとか、脳死とするとか、まあ、そういういろいろです。そういうことをきちんとしておかなければならんのだなあとしみじみ思います。
もう20年以上前になりますが、実父が倒れたとき、私は何もできなかったんです。介護しようと覚悟を決めたそのときに、父は旅立ちました。私が若かったからかもしれないけど、何も決められなかったし、覚悟が決まるまでも時間がかかりました。結局延命ということを選べなかったのですが、それでも、自分の判断の遅さとか、何が正解だったのか、いまだにわからず、ずっとずっと引っかかっています。父は恨んでないと思いますよ。私の希望的直感では。たぶん、父の思い通りだったのだと思いますから。
しかし。
ゴンゴンが旅立ったときは、無駄だとわかっていても、心臓マッサージの機械を、ゴンゴンの娘が来るまで止められませんでした。自分では決められないと思いました。
残される家族が判断で迷わないように、自分の最期はどうしてほしいのか、強い意志を、元気な時から伝えておかなければならないのかもですね。お葬式でこの曲流してとかより大事なのかも。